今から1300年前に都がおかれた平城京、青い屋根瓦に朱塗りの柱で彩られた建物が建ち並ぶ様子は、さながら花の盛りにたとえられました。

 この青い屋根瓦がわが国に登場したのは、588年に蘇我馬子〈そがのうまこ〉が建立した飛鳥寺〈あすかでら〉が最初と言われています。堂塔の軒先に連なる瓦には、仏教の精華を表すように、朝鮮半島から伝えられた清楚な蓮〈はす〉の花の文様があしらわれていました。それから半世紀ほど経て、中国から新しいデザインが伝えられます。それは8枚の花びらが反り返ったさまを立体的に表現した文様で、当時の仏教奨励策とも相まって瞬く間に地方へと広まり、寺院や役所の軒先を飾りました。

 ところがこの地域では、花びらの数を7枚に減らした蓮花文〈れんげもん〉が考案され、勝央町勝間田遺跡・平〈たいら〉遺跡といった役所や、美作市楢原〈ならばら〉廃寺・津山市久米〈くめ〉廃寺などの寺院に採用されたのです。このような独自のデザインが広まった背景には、役人としていち早く仏教文化に触れた有力者たちが協力して氏寺を建立していったことが考えられ、そうした連帯が713年の美作国設置へと繋がったのかもしれません。

 7枚の花びら、美作国の黎明を告げたこの美しい蓮花文の瓦を、ぜひ一度御覧ください。                (勝央町2012「広報しょうおう」686号)

 

蓮花文をあしらった勝間田遺跡の瓦