みなさんは偕老同穴〈かいろうどうけつ〉という言葉をご存知ですか。同じ墓に入るまで添い遂げる仲の良い夫婦という意味です。ふるさと農道が縦断する勝央町間山〈はしたやま〉の一画を発掘している時、この言葉を思い起こさせるような墓が見つかりました。

 それは、砂利を敷き詰めた一辺60㎝ほどの四角い穴の中に、二つの骨壺と酒?を容れた壺を納めたものです。高さ30㎝ほどの玉ねぎのような形をした骨壺の口は食器を使い封じていましたが、その中には焼けて細かく砕けた骨がぎっしりと詰まっていました。骨壺の特徴からすると、今から1300年前の奈良時代につくられた火葬墓と考えられます。

 当時はまだ仏教がようやく広まったばかりで、火葬という風習も貴族や僧侶の間で行われていたにすぎません。そうした中で荼毘〈だび〉に付された墓の主は、役人として重きをなしたこの地の有力者であったのかもしれません。

 残念ながら、専門家による鑑定を経ていないため、この二人の年齢や性別、間柄などは分かりません。しかし、相前後してこの世を去り、同じ墓に葬られたこの二人に、仲むつまじい老夫婦の姿を重ね合わせるのはわたしだけでしょうか。

(勝央町2011「広報しょうおう」675号)

 

二つの骨壺が納められた墓(岡山県教育委員会2003「岡東高塚遺跡ほか」から)