戦国武将が人気を集めている昨今、各地に残る城跡を訪れる人も増えているようです。勝央町内にも25箇所の城跡がありますが、発掘調査によりその全貌が明らかとなったのは、勝央中核工業団地の一画にあった茂平〈もびら〉城跡のみです。

 この城跡は、城山と言う高さ10mほどの小さな丘を利用して築かれていました。丘の頂きや斜面には曲輪〈くるわ〉と呼ばれる平地を三段にわたって造成し、背後には掘割を設けて守りを固めています。しかし、そこから見つかったのは、南向きに建てられた大きな建物や地下室のような穴蔵、すり鉢・石臼といった調理用具など、およそ城跡らしからぬものばかりですが、わずかに出土した刀や矢尻はここが武士の住まいであったことを伝えています。この地域では、このように防御を固めた屋敷のことを構〈かまえ〉と呼んでいます。

 茂平の構がつくられたのは、いまだ戦国の余韻〈よいん〉が残る安土桃山時代のことです。関ヶ原の戦いを経て天下の形勢が定まると、地侍の多くは刀を捨て帰農していきました。名前が伝わらないこの屋敷の主もその一人だったのでしょう。そして、泰平の世を迎えた江戸時代、もはや無用となった城のような屋敷は打ち捨てられ、田畑へとその姿を変えていったのです。

 水温む春の一日、みなさんもお近くの城跡を散策してみてはいかがでしょう。

(勝央町2012「広報しょうおう」678号)

 

発掘された茂平城跡(岡山県教育委員会1996「茂平城跡ほか」から)