勝央町の小池谷〈こいけだに〉遺跡で一軒の竪穴住居が見つかりました。径8mと大型で、炭化材や焼土に覆われていることから焼失住居と思われます。この住居の屋根材を明らかにするために、焼土の下のプラントオパール(イネ科植物の細胞化石)を調べました。すると、カヤ(ススキ)ではなく、イネの葉・茎(ワラ)のプラントオパールが大量に見つかったのです。ここから700m北へ離れた美作市鍛冶屋峪〈かじやざこ〉遺跡の竪穴住居でも、やはり同様の結果が得られました。いずれも山林として利用されてきた小高い丘の上に位置していて、田畑から流入したとは考えられません。

 これまでイネワラの利用は、根刈用の鉄鎌〈てつがま〉やワラ打ち用の横槌〈よこづち〉が普及した弥生時代後期以降と考えられてきましたが、今回の発見により弥生時代中期中葉には住居の屋根や床の材料として用いられていた可能性が強まりました。今後、こうした分析が進めば、イネワラの利用は稲作伝来のころまでさかのぼることも十分に考えられます。

 

勝央町小池谷遺跡の焼失住居

勝央町小池谷遺跡の焼失住居(岡山県教育委員会2016「小池谷遺跡ほか」から)