以前にもチョコっと書きましたが、、


今回は三門にあった仁王さんのことを検証したいと思います。

仁王さんのことは宗学要集や富士年表を見てもなぜか記述がありません。

また、写真もありません。

ですがたくさんの目撃者がいます(w)

①まずは私自身
②根檀家の高齢の方々
③妙光寺の地区長
④〃の檀家さん
⑤他支部の信者さん etc

証言①
私は昭和33年生まれですが、まだ幼児の頃に三門をくぐるたび仁王さんに睨まれているようで「おっかないなぁー」とビクビクしていたくぐった記憶があります。


証言②
妙光寺の地区長は戦時中の小学生のころ(品川区立・大原小)大石寺に疎開していた時、仁王さんを磨かされたと証言しております。


証言③
根檀家のおばあちゃん(寂日坊所属)は昭和35年にこの地にお嫁に来た時そうですが、その時にはまだ仁王さんがあったと言っておりました。
また仁王さんが取っ払われたあとは根檀家の人たちと「仁王さんはどこ行っちゃったんだろーね〜?」とよく話していたそうです。


証言④
我が妙光寺の総代さんの親類の方は材木商を営んでおり、大石寺の普請の折は材木を卸していたそうで、確かに仁王さんはあった、と証言しております。


証言⑤
神奈川大円寺の信徒さんが新来者と御登山していた折「ここには昔こんな(仁王のマネをして)仁王さんがいた」と説明していたところを見たことがあります。


以上、身近な人たちの証言をまとめてみました。

仁王さんの正式名称は金剛力士といいます。


力士!いかにも強そうな名前ですね。

仁王といえば東大寺南大門の仁王さん(国宝)が有名です。

 



運慶、快慶作のあの「あ・うん」の形。

そこから「あうんの呼吸」という言葉が生まれたそうです。

仁王さんの役目は門番でありその寺院を護るガードマンであります。

(けして尊信の対象の仏像ではありません)

その構えは少林寺拳法が参考にしたほどの隙の無い構えであり、とても勝てそうにありません(笑)

日本の寺院の三門には必ずと言っていいほど仁王さんがいます。

 

(浅草雷門の仁王さん)

九州などに行くと神社の鳥居の脇に立っていたりします。

 


(大分県 鷂(たか)神社の仁王さん)

なので大石寺の仁王さんも三門建立当時に造られたのではないかと考えています。
(これはあくまで推測です。なにせ文献がありませんから、、)

ではいったいいつ三門の仁王さんは取っ払られたのでしょうか?

また誰が取っ払ったのでしょうか?

昭和37年4月号の大百蓮華を見ますと三門特集を組んでおります。

特集と言っても誰がいつ建てたか、誰の寄進か、などの通り一辺の説明です。


当時写真が掲載されていますが現在の三門と全く同じで、仁王さんがいたであろう両サイドの空間はぽっかりと空いております。

日逹上人代になると巨大な提灯がぶら下がっていました。


(昭和45年頃の三門)


という事は・・・


根檀家のおばあちゃんが昭和35年にお嫁に来てから、大百蓮華の特集が組まれた昭和37年3月までの間に取っ払われたことになります。

ではなぜ仁王さんは取っ払われたのでしょうか?

その頃は戸田先生がお亡くなりになった後で池田大作にバトンタッチされた頃です。

 



戸田先生の死身弘法の75万世帯の大折伏戦により盤石な礎が築かれ、それに乗った形で池田創価学会が800万世帯にまで急成長します。

当然、海外信徒なども増え登山者も急増していきました。

(当ブログ「昭和30年頃の登山」参照)

ある老僧の法話の中で
「創価学会の折伏により信者数が急増するなか、客殿の御影様と御影堂の御影様が謗法ぽいから取っ払ってくれと申し入れがあった」と話されていました。

仏像は謗法だ!
正宗は曼荼羅正意だ!


と教えてる以上、仏像ぽい物があるのは困る、という事でしょう。

流石に正宗の化義化法は変えることはできないためその申し入れは断ったそうです。

ではその代わりに、という事で仁王さんは取っ払られた可能性があります。

三門は六代将軍家継公の御台所(正妻)、天英院殿の御寄進による三門です。

東海道随一の三門ですから、おそらくはそれなりの名のとおった仏師が造った仁王さんだったと考えられます。

子供心にずいぶんと迫力があった事を覚えております。


インターネットで調べてみると、三門の仁王さんは創価学会が保管しているとの書き込みがありました。

その事を学会本部に問い合わせてみましたが回答がありませんでした。

もし
学会が保管しているとしたら、池田大作が買いあさったあのルノアールの駄作、デブ専の裸婦たちと一緒に東京富士美術館の地下倉庫に眠っているのでしょうか??

 


もしそうだとしたらあまりにも悲しすぎます泣き笑い

先日ご登山の帰り道
静岡県の支院長さんのお寺に立ち寄り突撃インタビューをして参りました(笑)

支院長さんが言うには、

「どこにあるかは分からないが壊したり捨てたりはしていないだろう。
おそらくは御宝蔵か奉安殿
(奉安堂ではありません)に保管してあるのではないか」と申しておりました。

昭和36〜7年頃に姿を消した仁王さん。

その頃の事をご存知の方がおりましたら、是非こちらのブログまでお知らせ願います🙏

それまでまだまだ追跡取材が続きま~す。

妙光寺支部の城内でした。


イチャモン・質問はこちらまで
09032123588

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