日顕上人の三回忌が近くなりましたので、今回も大日蓮から過去の上人の御指南を転載いたします。
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最近感じたことで、ひとこと言っておきたいことがあります。
このなかには既に住職になって、それぞれの寺院の信徒と接触しておる人もある。
あるいはまた、住職でなくとも、それぞれの寺院に在勤して、常に本宗の信徒と顔を合わせておる人も多いと思います。
そういう中で信徒の方々から質問を受けることがあると思うのですが、その時の肚構えとして、質問する御信徒は、たとえそれがどういうことであれ、解らないで質問するのであるから、その質問に対して本当に僧侶としての慈悲を根本として、また素直な心をもって対処することが大切であります。
その時に、自分の知らないことを尋ねられたというような場合に、本当に正直で信心根本の心を持っていないと、とんでもない返事をする場合が、過去においてあったようなことも聞いておるのであります。
例えばある法門を御信徒に聞かれたが、自分は返事ができないものだから
「そんな法門はありません」などと言ったというのです。
それはとんでもないことです。
大聖人様が御書にはっきりとお示しになっておる御指南を、自分が解らないものだから
「そんな法門はない」などというそんな莫迦なことを、教師になっておる者には万が一にもないと思うけれども、たとえ所化でもよくないと思います。
それから、そいいう質問に対してなんとか逃げようとしたり、ごまかそうとする態度で接することも、これは信心がはっきりしていないからであります。
そういう時にどうしたらいいか。
もし自分が知っていることであったならば、言葉においてはよく誤解がありますから、誤解のないようにそれを深く考えつつ、なるべく親切丁寧にその人の疑問に対処して話をするという心掛けが大切であります。
それから知らなかった時はどうしたらよいか。
そういう時に本当に正直な心を持っておる人間は、その答えがはっきり出てくるのです。
それは「申し訳ありませんが、私はそのことについて勉強不足でよく解りません。だから、これからしっかり勉強し、なんとか御返事できるように努力いたします」という返事です。
このように答えることは恥ずかしいことでもなければ、難しいことでもないのです。
そして今度は直ちに勉強に取り掛かることが大切です。
それが法門のことやら御書に関することならば、直ちに御書を拝し、そのことに関して自分で勉強し、あるいは御住職その他、先輩にも聞いてみたり、色々と努力してその問題を正しく解決し、摑んで、そして質問した方に対して「あなたの御質問に対して勉強させていただきました。これはこういうことだと思います」
と、堂々とその質問に対処すればよいんです。
これは立派なものです。
その時にその御信徒はどう思うでしょうか。
「この僧侶は最初に返事ができなかった。あれは莫迦坊主で、なにも解らないのだ」などと、そんなことは思いやしません。
仮に、一時、そう思ったとしても、そのように思う人には勝手に思わせておけばよいのです。
自分がそれだけの努力をして、きちんとその御信徒に対して正しい返事をしたときは、その御信徒の方は
「これは立派な御僧侶だ」と思うのです。
そういうものなのです。
ところが、そん時に逃げたり、ごまかしたり、はなはだしいのは「そんな法門はない」などと勝手なことを言ったりする。
そういう考えを持っている者は、日蓮正宗の僧侶の心掛けを全く外しておる者なのです。
そういうことがあったら本当に恥ずかしいことと思いなさい。
(平成11年度 富士学林研究科開講式の砌)
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何もムズカシイ御指南ではありません。
上人が絶えず仰っていた「正直な信心」を素でいけばよい話ですね。
私たちも新入信者や後輩、自分の子供たちに質問された時
解らないからとごまかさないようにしましょう。
あと「知ったかぶり」もやめましょうね~
これも恥ずかしいことですよね~
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皆さまも御存じでしょうが、先日
関西創価高校で飛び降り自殺があったとニュースで読みました。
まぁ
自殺は全国の高校でもあるんでしょうが、
あってはいけない高校であったわけですから、これはちょっと問題ですよね~
このブログで絶えず訴えてる
ニセ本尊の害毒!
精神疾患→精神病→自殺のゴールデンコースを歩んだんでしょうか?
謹んでご冥福をお祈りいたします
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こんなものに朝晩、学会流の
「ナメコ題目」をあげているアナタ!
精神疾患→精神病→自殺
と真っ逆さまです。
創価高校の生徒のように
飛び降りたくなりますよ~
こんなものさっさと取っ払って正宗寺院に駆け込み
正法正師のご指導のもと
まっとうな信仰生活を送りましょう
でわまた、シーユー