『悪口の咎の最高刑が流罪』

 

にもかかわらず大聖人様の身柄は

龍ノ口へ護送されようと武蔵守の屋敷から若宮小路にさしかかったりました。

 

この先には皆さまよくご存知の

鶴岡八幡宮があります。

 

鶴岡八幡宮は源氏の氏神であり

当然、北条家も崇めている社です。

 

ここで大聖人様は

 

『八幡大菩薩に最後に申すことがある!』

馬より降りて大音声で諫言します。

 

有名なくだりです。

 

 

以前も書きましたが立正安国論

『神天上の法門』から言うと

八幡宮には八幡大菩薩は住んでおらず

悪鬼、魔神が住み付いていることになります。

 

ではなぜ、悪鬼、魔神しか住んでいない

八幡宮で諫言をしたのか??

 

鎌倉時代の地図を見てみますと

八幡宮の目の前は北条時宗の館なのです。

 

 

ここで時間稼ぎをしたのだ、という研究者がいますが

筆者はまさしくこれは

八幡宮を執権、時宗に見立てた諫言

ではなかったかと考えております。

 

『今日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし、

日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきを・たすけんがために申す法門なり』

 

これはまさしく時宗に対する諫言でしょう。

 

こんな重要な諫言が単なる時間稼ぎだったはずがありません。

 

そかも若宮小路は目抜き通りです。

(現在は若宮大路)

 

夜中とはいえ数百人もの武装した武士がぞろぞろ歩くのですから

かなり騒々しさに市民も『何事!?』と気付くはずです。

 

この後“熊王”という子供が登場して四条金吾さんに伝言しますが

そんな子供まで騒ぎを聞いて付いて来てしまうのです。

 

もう一つ

この緊急事態に日興上人が何か行動を起こしたのではないか

と筆者は考えます。

 

お師匠様が今まさに首を斬られようとしている時、

ことの成り行きをただ見てるだけなどとは到底考えられません。

 

四条金吾ですら追い腹を切る覚悟で付いて行くのですから、

 

おそらく北条弥源太殿の館に知らせに走ったのではないかと考えます。

(北条家一門の出身・幕閣の要人、文永五年以前に入信)

 

いずれにせよこの騒ぎが

時宗の耳に入ったと考えて良いでしょう。

 

当時、時宗の奥方、祝子(のりこ)は懐妊中。

 

『あなた!こんな時に坊さんの首を斬るなんてやめてちょうだい!!

と時宗に言ったかどうかは分かりませんが

昔から『坊主殺せば七代祟る』と言います。

 

「大聖人様を(伊豆)流罪にした張本人とも言うべき北条重時は、

実は大聖人様を流罪にして二十日も経たない六月一日の夜中、
お手洗いに行った時に物怪(もっけ)、つまりわけの判らない

妖怪のようなものを見て意識朦朧となり、

毎晩発作を起こす奇病に取り憑かれたのです。
そして十一月には亡くなったのであります。」

(御当代・日如上人立正安国論の講義より)

 

過去にこんな事件を見てきた時宗とその奥方は

そら恐ろしくなり、

『バカ者!日蓮御坊の処刑を即刻中止しろ!!』

と叫んだに違いありません。

 

時宗の急使が馬にまたがり松明を掲げ、龍ノ口に向いました。

 

妙法比丘御返事ではこの『光りたる物』のニュアンスがちょっと違います。

 

『月の如くにをはせし物・江の島より飛び出でて使の頭へかかり候いしかば、使おそれてきらず』

 

つまり月のように明るい物が江ノ島の方角から飛び出て、

使いの頭にかかり・・・

 

という表現に変っております。

 

北条時宗の命令書を持って馬に乗った勅使が

『そこをどけ!さがれ!控えろ!』

と叫びながら大聖人様一行の前に躍り出た。

 

『太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、

或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり』

(種種御振舞御書)

 

暗闇でのあまりの急な出来事に、

目の前の松明の灯りで首切り役人は目がくらみ倒れ伏した。

 

なかには処刑が遅れたことをとがめられるのではないかと、

早トチリをして逃げ出した役人もいる。

 

『近く打ちよれや打ちよれや

夜あけば・いかにいかに首斬るべくわ

いそぎ斬るべし

夜明けなば見苦しかりなん』

 

大聖人様が『早く首を斬れ!』と叫んでも、

そもそもこれは非合法の処刑。

 

しかも勅使の前で斬れるわけがありません。

 

結果、処刑は中止となりました。

 

以上が

『まりのように光たる物の正体』の仮説です。

 

皆さまはどのようにお考えですか?

 

『すなわち、幕府の力をもってしても、斬首できなかったという厳然たる事実~中略~

まさにこの“光り物”の現象は、大聖人の一念によってこの一文を如実に実証されたものであり、

日月星辰をも一念に納める本仏としての力有を発現されたものであった。』

(前法主・日顕上人著「日蓮大聖人正伝」)

 

ここまで書いても筆者は『火球説』を支持します。(^_^;)

 

それのほうが

ドラマチック・ロマンチックですから・・・

(//∇//)

 

 

~了~

 

【あとがき】

北条宣時(武蔵守)は大聖人様の斬首が失敗した後、責任逃れのため熱海の温泉に逃避しています。

 

また大聖人様の佐渡御流罪中、佐渡の守護であった宣時は、虚御行書(ニセの幕府の命令書)を作り、

大聖人様や門下に執拗に迫害を加えた続けました。

 

この先も魔の手先となって様々な妨害を企てていきます。

 

大聖人様は『悪は多けれども一善に勝つことはなし』(異体同心事)

にあるとうり、仏は魔は絶対に負けないのです。

 

この法難も数百人が束になってかかっても

大聖人様を殺せなかったわけです。

 

ですが、『アタシは魔には負けない』などとボーっと生きてると

魔の眷属にやられますよ~

▼☆▼ガーン