僕が小学5年生だった頃
よく晴れた日曜日の朝
父が突然
大ハンマーで家の壁をぶち壊し始めた!
驚いた僕は母のところへ飛んで行き
警察を呼ぼう!!
と叫んだ
聞けば、父が家に風呂場を増築する
のだという
それならそれで言っとけよ
と思った
当時はまだ風呂場の無いアパートや
一戸建ても沢山あった
その為、僕の生まれた小さな街にも
3件の銭湯があった
我が家も銭湯を利用する家庭だったが
元大工の父は突如発奮し
風呂場の増築を始めた、という訳だ
そう直ぐには完成しないだろう
なにせ父1人でやるのだ
その時の僕は特に興味はなかった
5年生にもなれば
銭湯にも1人で行くようになっていた
やたらと独立心旺盛だった僕の
ささやかな背伸びだ
その日もいつものように
体を洗って湯船に浸かっていた
目の前の洗い場に
見事に全身入れ墨の爺さんが
僕に背を向けて頭を洗っていた
何人も並んでいる中でやはり異質だ
僕は無遠慮に凝視してしまっていた
鏡越しに僕の視線に気付いた爺さん
グイと僕を振り返り
おうボウズ、凄かろう
おいちゃんはのう
ボウズぐらいん時
親の言う事も聞かんで
悪さばっかりしよったけぇ
こんな絵が出てしもうたんよ
そんな事を言って
とニヤリと笑った
アホくさ と思った
そんな話を真に受けるバカがいるものか
僕はへぇ〜だかふ〜んだか
生返事をした
僕がジッと見ていたのは、
確かに見事な彫物ではあるが
間近で見ると随分ぼやけているな
と思ったからだった
入れ墨はもっと鮮明な物だと思っていた
後々気付いた事は
多分随分若い頃に彫ったのだ
皮膚の代謝でぼやけてくるのだろう
僕の興味無さげな生返事にも
爺さんはめげなかった
頭の泡を流すと
湯船の僕の隣に入ってきて
ボウズは何年生よ?
なんか運動やらしよるんか?
などなど質問攻めにしてきた
鬱陶しい!と思いつつ
ひと通り答えてやった
元々長湯はしない僕は
もう帰らないけん
そう爺さんに告げて湯船を出た
おう、またの
背中に爺さんの声が聞こえた
僕らの交流はこんなふうに始まった
爺さんは真っ白な白髪を角刈りにした
よく漫画に登場する
いぶし銀そのものだった
昔はその名を轟かせた大親分
そんな登場人物が有れば
そのまま実写版でいけただろう
ただし
痩せていてかなりのご高齢だった
だからちっとも怖くはなかった
爺さんは僕をボウズと呼び
僕は爺さんをおいちゃんと呼んだ
始めは鬱陶しいばかりだったが
おいちゃんの話は面白かった
おいちゃんの子供の頃の話
若い頃の武勇伝
戦争中の体験談
そして刑務所に入っていた時の話
どれも僕には知り得ない事ばかりだった
次第に僕はおいちゃんの話を聞くのが
楽しみになっていた
カラスの行水の筈の僕が
帰りが遅くなるので
なんか長湯になったねえ
と母に言われたほどだ
いつも会える訳ではなかったが
会えばおいちゃんの講演会は始まった
聴衆は僕ひとりの筈なのだが
ふむふむと聴き耳を立てている
大人達もいた
こんな事があった
僕が脱衣場で体を拭いていた時
突然
オジサン同士の言い争いが始まった
僕の他にも子供の多い時間だった
原因はわからないが
一触即発の雰囲気だ
そこへ少し遅れて脱衣場へ上がってきた
おいちゃん
そのオジサン達の元へ歩み寄り
おうキサンら
大の男が
子供の前で恥ずかしゅうはないんか
怒鳴る訳ではない
静かな口調だ
いぶし銀がギラリと光った
オジサン達はピタリと喧嘩をやめて
あっさり二手に分かれた
おいちゃんスゲー
と思っていると
ボウズ、飲むか?
と言って いちご牛乳 を買ってくれた
世の中には
こんなおいしい飲み物があるのか!
と感動した
僕の友達に洋介という子がいた
放課後も日曜日もつるんで遊ぶ
悪ガキグループのひとりだ
ヤツはよく「男」と言う言葉を使った
やれ男らしくない だの
やれ男のくせに だの
一番鼻につくのは「男の中の男」
だった
わかって言ってるのか?
と思っていた僕は
男の中の男てどんなんを言うんか?
と聞いてみた
そんなん聞くとか男らしくない
ときた
お話しにならない
言い合いが昂じて取っ組み合いの
喧嘩になった事もある
僕はハタと閃いた
そうだ!おいちゃんに訊こう!
おいちゃんはほんまもんだ
きっと答えを知っている
おいちゃんから教えてもらった
「男の中の男」を洋介にぶつけて
黙らせてやろう
僕はこの思い付きに心躍らせ
意気揚々と銭湯の暖簾をくぐった
いた!おいちゃんだ
急いで服を脱ぎ捨てて
掛かり湯ももどかしく
おいちゃんの元へ向かい
ストレートに尋ねた
なぁおいちゃん
男の中の男ってなんね?
どういう人を言うん?
さぁ おいちゃんは何と答えるのだ
これで洋介をやり込められる
さぁ 教えてくれ! さぁ早く!
おいちゃんは面食らった様子だったが、
フンと鼻を鳴らしてこう言った
ボウズの父ちゃんは仕事しよるか?
は?何を言っている?
そんな事関係ないだろう?
でも機嫌を損ねてもマズイ
僕は
しよる
と答えた
父の会社は家から近く
自転車で通勤していた
元は腕のいい大工だったらしいが
僕が生まれた頃には会社務めだった
今は土曜の午後と日曜は
風呂の増築をやっている
そのような事を
問われるままに答えた
そして最後においちゃんは
雨が降っても、風が吹いても
仕事に行きよるか?
行きよる
と答える
すると
それが男の中の男よ
と言った
え?…なん…ですって…!?
何を言い出すのかと思えばこのジジィ
どう言う事だよ?
あぁ…もう…ガッカリだ!
僕のあのオヤジが「男の中の男」?
そんな事を洋介に言ってみろ
は?バカかお前
となってまた喧嘩だ
僕はひどく落胆した
心躍った計画は頓挫したのだ
たがおいちゃんは
そのリアクションは想定どおり
と言わんばかりに余裕の表情だった
その日の帰りがけ
おいちゃんはちょっと不安げな顔で
ボウズ、家の風呂はいつ頃出来るんか?
と訊いてきた
落胆から立ち直りきってない僕は
ようわからん
どうでもいい事のように答えた
実際よくわかっていなかった
おいちゃんに言われて急に
気になり始め
進捗をちょくちょく確かるようになった
父の腕は確かだった
あれよあれよと出来ていく
佐官さんも入り、風呂釜もついた
もうそろそろか?
と思っていたある日
父から
今日から入れるぞ
と言われた
母と姉は大喜びだが
僕は焦った
おいちゃんにはそんな進捗状況など
話してなかった
最後に今日だけ!
と頼んで風呂代をもらおう
とも考えたが
絶対無理だ
無い知恵を絞った
そうだ!
友達に漫画を借りっぱなしだった
返してと言われたから返して来る
早口で告げて家を飛び出した
自転車を飛ばせば銭湯はすぐだ
別に風呂には入らなくても
おいちゃんに
もう来れない事だけ告げて帰ろう
銭湯に飛び込んだ僕は
番台のおばちゃんに
あのおいちゃんは?
と訊いた
あぁ来とらんねぇ
と言われた
おいちゃんにはまたガッカリだ
銭湯の前で少し待ってたが
漫画を返して来るだけの時間しか
猶予はない
目が疲れた
続きはまた改めて書こうっと