ひとつ一つ同じ形がないジグソーパズル

です。


私は、

このジグソーパズルのひとつ一つのピースが、

ひとり一人に見えるのです。



似たような形はありますが、

よく見るとどこかが違います。


そしてお隣さん同士は、

お互いに補い合って支えあっています。


私はこう思うのです。

人間、誰しも得意なもの、不得意なものが、

あり、

それをお互いに補い合っているのだと思う

のです。



誰かの得意が、誰かの不得意を補っていて、

誰かの不得意を誰かの得意を補っているのだと。



つまり不得意なことは、

欠点ではなくて、

誰かの得意を気づくことであるとしたら、

それって私たちは、

大きな存在の中の一部分と捉えられるし、


家族の単位で見ても

不思議とバランスよく得意、不得意が、

それぞれに補い合っていることに

気づけます。



大切なのは、自分の凸凹(デコボコ)を知る

ことなのだと思うのです。



それぞれの人生において、

あくまでも主役は一人だからです。



それぞれのピースが、それぞれを支えていて、

一枚でもピースを失くすとバランスを保てない

ジグソーパズルは、

自分が主役という映画やドラマの出演者全員

の形に見えるのです。



つまり、自分という人間は、

誰かがいるから自分として輝けるのだと思います。

それは、みんな違うことでしか成り立たない。



それが『ひとつ』の状態です。



でもいつもいつもそう思えたら

心穏やかにいられるのですが、

忘れてしまう時もあります。

そんな時は、

私はジグソーパズルを思い出し、

「そうだった」と中庸(ゼロポイント)に

戻るようにします。