昔からの言葉で、
『人の振り見て、我が振り直せ』
『人を以て鑑と為す』
『反面教師』
とかありますが、
これらは、
私たちが見えるすべてのものは、
私たち一人ひとりの意識が映しだしているので、
あなたが自分では気がつかない意識を
他人を通してみて、
良いものは見習い、
直したいところがあったら直せばいい、
という気づきのためにあるのですが、
たとえば、
嫌いな人がいるとしたら、
その人そのものが、嫌いなのではなくて、
その人のある部分が嫌いではないですか?
それは、
嫌いなところは、
あなたの中にあるその部分を
あなたが嫌っているから、
そういう風に嫌いな部分を
その人が映しだされているだけなのです。
私は、そのことを何となく昔から
分かっているようでしたが、
すべてがそうだとは思いませんでした。
つまり
『ひとつ』なのです。
すべては『ひとつ』なのです。
『ひとつ』のところから
別々の『個』の体験をしたくて
『愛』しかないところから
『不安』の体験をして
『愛』とはどういうものか知りたくて
私たちはいるのです。
だから結局は『愛』なのです。
『愛』しかないのです。