『船乗りたちの戦争 ~海に消えた6万人の命~』というドキュメンタリーが2018年のNHK終戦特集で放送されています。

 

攻撃一本鎗の日本海軍が「日本の生命線」ともいうべき輸送船団護衛を軽視したため、大戦中、次々に撃沈されて行った民間徴用輸送船乗組員の悲劇を取り上げた作品です。敗戦までの民間徴用乗組員の犠牲者数は、6万642人にのぼりました。これは陸海軍軍人の死亡率を上回る恐るべき数字です。

 

「海上護衛戦」の経過と日本海軍の根本的欠陥、「通商破壊戦」に完敗した理由については、こちらに書いています。 

 

 

 

 

今の日本が戦争状態になったらどうなるかという問題については、こちらに書いています。

 

 

 

このドキュメンタリーで、これまでほとんど語られてこなかった「黒潮部隊」(民間漁船を徴用した特別監視艇隊)とフィリピン日本軍部隊への物資輸送のために漁船ごと駆り出された少年漁船員たちの運命に光を当てた点は特筆すべきです。

 

本土から遠い太平洋上に直線状に散開させて米空母機動部隊やB29の日本本土接近を監視する役目を負わされたのが黒潮部隊。116隻もの民間遠洋漁船(100トン~200トン)を漁船員ごと強制徴用。12.7ミリ機銃を1丁装備しただけの木造船に海軍士官が乗り込み、漁船員たちは1日12時間以上も双眼鏡で監視させられました。

 

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黒潮部隊の成果としては、B25爆撃機による日本本土初空襲(ドーリットル空襲)のために接近して来たハルゼー機動部隊を発見していち早く無電連絡した「第二十三日東丸」(90t)の例が有名ですが、打電直後に同船は撃沈されています。

 

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炎上する「第二十三日東丸」

 

ほぼ無防備な漁船監視艇は米軍に発見されたら最後で、その大半が敗戦までに片っ端から撃沈されて漁船員も船と運命を共にしました。海軍にとって民間監視艇(ただし漁船員は軍属扱い)など捨て石同然で、敵状報告後に監視艇がどうなろうと知った事ではなかったのです。

 

その事は、フィリピン方面での物資輸送任務に軍属として駆り出された漁船員たちにも当てはまります。フィリピンに行かされた漁船員の半数は14歳~18歳の中学・高校生位の年齢で、まだ徴兵年齢にも満たない少年たちでした。

 

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レイテ沖海戦の最中で、動員された12隻の漁船すべてが攻撃されて沈没。生き残って命からがらレイテ島やネグロス島に逃げ込んだ少年たちは、そこで陸軍の指揮下に入りました。

少年たちは竹槍を持たされただけで軍人よりも先に突撃させられるなど、まるで兵隊の弾除けのような理不尽な扱いを受け、生還できたのは65人中僅か12人だけという惨状。

 

これらの悲惨な事例には、軍隊と国家が一体化した戦前の軍国主義国家日本では、「軍=お国(天皇制軍事国家体制)のために国民(民間人)が犠牲になるのは当たり前」という人権も人命も無視した思い上がった軍国主義思想が露骨に表れています。

 

軍隊とは、一体何を守るための組織なのでしょうか。

 

200パーセントあり得ない話ですが、仮にもし日本が太平洋戦争に勝利していたら、SF作家フィリップ・K・ディックが『高い城の男』で描いたようなディストピア・ファシズム国家「大日本帝国」が現代まで続いていたかもしれません。

 

そう考えると、敗戦はある意味、「不幸中の幸い」でもあったと言うべきかもしれません。悲惨な敗戦によって、日本は「日本国憲法」という素晴らしい憲法と戦前にはなかった民主主義や基本的人権を「負け取る」事が出来たのですから。

 

今日に至っても日本の民主主義は脆弱で「形だけ」のものではありますが、憲法で「国民主権」「基本的人権」「平和的生存権(平和主義)」が保障されているのですから、「大日本帝国」時代よりは遥かにましと言えます。

 

だからこそ政府自民党など右翼界隈は、「日本国憲法」の基本原則を有名無実化できる憲法の「緊急事態条項」を喉から手が出る程欲しがっているのです。