忘れじの赤い傘

 

 

十代の頃の想い出に、赤い傘にまつわるエピソードがある。中学生の頃、小説家の遠藤周作さんの(狐狸庵先生/こりあんせんせい)シリーズのエッセイ本が好きであった。その中の狐狸庵閑話(こりあんかんわ/こりゃーあかんわの洒落でもある)の一節に先生がこんど「赤い傘」という題名で小説を書くぞというのがあった。
 

「赤い傘」なにやらシュールな話になるらしかったが、自分は読んだことはない。それで自分は朱色の雨傘を親に買って貰った。
 

中学校の卒業式は朝から小雨が降っていて、その傘をさして出かけた。午後になって空は晴れ、卒業式も済んで帰り際、私は傘を忘れて帰路に着いてしまった。慌てて途中で引き返して取りに戻り、傘を持って下校の引けた通りを再び歩くと、花屋の前に赤いスイトピーと、黄色いパンジーが売られているのを目にした。赤いスイトピーは卒業生の胸元を飾ったらさぞかしステキだろう。黄色いパンジーは何故が中学卒業限りで離ればなれになってしまう、異性の友だちの事を想起させた。

高校生になって電車通学を始めた折、登校の朝母親に今日は帰りは雨が降りそうだから傘を忘れずに持って行きなさいと諭されて、持って出て濡れずに済んだ事もある。そこで赤い折りたたみの傘を買った。

十代の終わり頃、中学の卒業式の時の赤い傘は、中退をした短大の玄関の傘立てに置き忘れて来てしまった。それっきりである。折りたたみ赤い傘は、バッグの盗難にあってその中に入っていたため紛失してしまった。
 

なにやら赤い傘がわたしの分身、身代わりになったような気がして、その次は水玉模様の傘を買った。
 

シニアの年齢になって友人になった茶飲み友だちの男性は、とっても作りの良い、高級そうな傘をいつもさしている。伊勢丹デパートとかで売ってそうな感じの(^^ゞ。大きくて丈夫そうでいいなといつも想う。

下の写真は、現在雨が降ると時々着ている黄色のレインコート。幼稚園の黄色いカッパを想起させる。


わたしの子供頃は携帯電話なんてないから、父親が会社から帰宅する時間に急な雨になって、父の傘を持って駅まで歩いてお迎えに行った事が小学二年生の頃にある。夕飯の支度で忙しい母親に言付かって。電車の到着する時間になっても父は降りて来なかった。実は駅の構内のどこかで行き違いになって、父は濡れて先に家に帰って仕舞ったのである。何分待っても父は電車から降りて来ない。そしたら、家から父が今度は私を迎えにやって来て、任務を果たせなかった無念さに半べそ泣きながら家に帰った想い出もある。
 

昭和のフォークソング・ブームの時代に、さだまさしの「雨やどり」なんて歌もあったな。
雨降りはドラマを生むのかなとか、ふと想う。(笑)