共感力 人に寄り添うこころ

 

 

喜びをつくる 快楽と喜楽

快楽は自分の欲望が満たされた時に感じる刹那的な或いは物理的な快感だ。そうではなくて、もっと根本的な永続的な静かな楽しみというのもこの世にはある。
そこはかとなく、温かく胸に湧いてくる喜びの楽しさ。

東京築地に「新喜楽」という日本料理屋さんがある。年に二回このお店では日本文学振興会の「芥川賞」「直木賞」の選考会が行われる。明治の時代からある老舗料亭。始めの喜楽の名にあとから「新」をつけたそう。

梅の名所水戸の「偕楽園」は殿様が、世の人々皆と一緒に楽しめるようにとの願いを込めて偕楽園としたという。

快楽は自分一人だけの欲望を満たす刹那的な快感であるが、喜びの楽しみは相手の人あっての感慨である。人間は人の中(間)に生きるから人間という。

今時の若い人に多いのかな?と思うモノに「ペシミスト(厭世主義者)」と「ニヒリズム(虚無主義)」がある。社会を皮肉的に眺めて、すべては無価値と世界を嫌う考え方。

ちょっと待ってくれ!それはあなたの心が一人であるからだ。相手に寄り添う気持ちを抱いたことがないのだろうか?或いは卵が先かニワトリが先かで自分が他人様からの共感を得ることができて来なかったからなのか?

ヒヨコが卵から孵化する時に、啐啄同時(=そったくどうじ)という言葉がある。
ヒヨコが卵の殻を破ろうと中からくちばしで突いて外へ出ようとすると、親鳥が外からも突いて殻を割ってあげる。ここで大事なのはヒナは、自分の力で卵の殻を破って外へ出てくることである。精神の幼い人は、まだお尻に卵の殻が半分被さっているような、(カリメロっていう鳥のキャラクターの様な)外へこの世へ生まれ切れないか弱さがある。

群衆の人の中へ、自分から歩み寄りなさい。他人に寄り添う気持ちを持つことが出来ないと、一人前の成人になれない。
人間の社会にはつらいことも当たり前にある。そういう時は思いっきりガハハと笑い飛ばそう。
 

一緒に笑ってくれる仲間は必ずいる。

喜びはあなたにも作れる。(^^ゞ