小学館の「国語辞典」 三省堂の「漢和辞典」の想い出

 

小学館の「国語辞典」 三省堂の「漢和辞典」の想い出

父は、平成三年に六十一歳で他界した。自分は結構なファザコンであった。小学校へ入学した時(昭和42年頃)に、父が会社の帰りに都会の大手書店から買ってきてくれたのが小学館の「国語辞典」であった事を今でもよく覚えている。
 

小学校二年生になると漢字や九九などを学習するようになる。語彙(ボキャブラリー)が格段に増えて行くのもこの頃からだ!。小学校四年生くらいからかな家のお手伝いをして、卵を割ったり、ナイフでリンゴの皮を剥くなんてことも出来るようになる。
 

小学生向けの小学館の「国語辞典」よく使った。最後はボロボロになるまで文字を引いた。国語力は、すべての学習の基礎の基礎になるものだ。小学校三年生時のクラスメイトには、家に帰って「国語辞典」を一ページ目から順番に読むことをしている子もいた。
 

ネットを見ていたら懐かしい小学館の「国語辞典」の広告を目にした。オールカラーで例解学習が出来るとある。

 

辞書の二度引きの事も先生から教えて貰った。辞典で一つの言葉を引いて、その意味・解説を読んだら、その説明文に書かれた単語のことを更にその辞典で引き直す。
 

英語の学習に英英辞典が良いのもその理屈かも知れないとあとで思った。

下の写真は、父の持ち物であった三省堂の「漢和辞典」昭和34年第1刷発行、昭和39年第41刷とあるから六十年以上昔のものだ。今でもわたしがこの辞書を使っている。父がこの辞典を入手したきっかけは、わたしの妹が生まれた時に名前を付けるのに漢字を探した事による。

 


 

先日、NHKのテレビで、令和の今の世の中にあっては、大学の学閥のようなモノを有り難がって、殊更にこだわる風潮はもう無用であるという趣旨のことを言っている若い人達が紹介されていた。

昭和十年生まれの私の母親は中卒、父は夜学(定時制の商業高校)を学費が叶わなくなり中退、昭和の東京オリンピック生まれの妹は地元の公立高校をでて地元の会社に就職をして今に到る。

学歴がどうとかいうステレオ・タイプのモノの考え方はわが家ではあまりしてこない家庭であった。人に認めて貰うには「実績」がモノを云う。置かれた環境に於いて、ひとえに実績を積み重ねなさいというのが父の教えであった。
 

小学館の「国語辞典」 三省堂の「漢和辞典」の想い出でした。

 

 

 

国語学者といえば、金田一先生\(^_^)/ 懐かしい!