地下鉄が
地上に出たり
もぐったりしてから
本格的に
地上に出ると
ゆうえんちが
あって
そこでは
所狭しと
ジェットコースターや
小さな観覧車が
ひしめき合い
まばゆい
非日常を
醸し出していた
こんなところ
と
冷ややかな一瞥をくれて
次の駅まで
進むと
わたしの
にくき
学校があった
もう昭和じゃなかったけれど
学校は嫌でも
行かなきゃいけないし
辞めちゃいけないものだった
何度も
辞めようとしたけれど
許されなかった
それは
わたし以外のだれかの
自慢の種だったから
人が
どんなに憧れる学校でも
自分が好きじゃなきゃ
意味がない
消え入りそうな自分で
もがき続けた
わたしに
久しぶりに
会いにいった
あのころ
あおのころの
苦しさや
憤りに
耐えてよかったんだよ
なんて
言うつもりはない
けれど
すべてが余すところなく
いまの
わたしを構成している
それは
すべてが
わたしの
愛してやまない
一部分になっているってこと
そういう風に
いまは
なったってこと
それから
ゆうえんちが
いまも変わらない光を
放っていることに
ほっとしたような
懐かしいような
気もちになれたってこと
それはいま
はっきりと
言えるんだ
そういう時が
いまあるのは
あのころが
あったからなんだよ
気休めにきこえるかもしれないけれど
ありがとう
本当に
ありがとう
愛しているよ
ずっとずっと
