18歳で潰瘍性大腸炎の治療
①
皆さま、こんにちは。
次男の難病発覚から寛解までを
発信してみようと思い
綴っていきます。
どなたかの参考になれば、と思って。
我が家は、
旦那さん(天然)2年前、ストレスから公務員をリタイヤ
私(元ナース、専業主婦20年の割にズボラ主婦)
長男(発達障害、ADHD)
次男(潰瘍性大腸炎)
の転勤族のおちゃらけた4人家族
3年ごとに、九州内を転勤し
その度に学校を転校しました。
元々、次男はお腹の調子を崩しやすかったです。
高3の秋ころから、下血が始まったようですが
痔じゃね?と思って、黙ってたんですが
どんどん下血の量が、多くなり
ある日、旦那が目の下のクマを発見し
なんか、おかしい、って聞くと 下血してる、ってことで
潰瘍性大腸炎じゃないか?とピン📍ときました。
次の日、病院に行き、大腸カメラをお尻に入れ
見てみると、出血で真っ赤で
粘膜が見れず、ドクターから怒られました。
「どうしてもっと早くこないのー?」
で、その日は、週に1度、大学から難病の見れるドクターの診察日で
そちらにまわされ
難病です。潰瘍性大腸炎です。
一生治りません、
内科的に治療していきますが、よくならなかったら
手術になります。との説明をサラッと受けました。
そして、食事指導と薬は内服薬と注腸
受けつけでは
難病の資格者証をもらわないと
病院代が高くなりますから、早めに保健所に行ってください、と言われ
診察代が1万円
薬局では、1ヶ月分の薬代が2万円位でした。
子供は、難病と一生治らないに
落ち込み、毎日、不機嫌でした。
私も、ショックで、ウソでしょ?と
毎日、涙が出てきました。
そして、注腸が嫌で嫌で
はじめしゃちょーのYouTubeを見ながら
注腸してましたね。
最初は、アサコールとか、でしたが
途中、何かの薬の副作用で、高熱が出て
間違えて抗生物質を出されて
それから、肝機能がどんどん上がっていき
疲れた、疲れたと言うようになりました。
その頃は、大学生になっていて
電車1時間➕バス45分かけて通学していたので
アサ5時起床の毎日でした。
臨床検査技師になる、予定でした。
下血がおさまらないので
不機嫌だし、友達も離れていき
大学は楽しくないと言っていました。
食事指導も受けていたので、脂質カットの弁当なので、1人で食べていたようです。
下血がおさまらないのでら夏休みを使って
大学病院に入院し、白血球除去療法をしました。
針が太いので、針を刺す1時間前に
麻酔のテープを貼りましたが
なかなか痛かったようです。
透析みたいな感じなので
あの気持ち悪いのは、もうしたくないと言います。
結局、3回か4回かして
効果なかったので、退院しました。
そして、下血はおさまらないので
大学(学校)もやめる決意をしました。
それから、4年間 さまざまな治療をしたので
ほぼ、全ての治療は経験しました。
つづく