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ギフト〜なな色の羽

私の中から産まれたがった言葉やお話を書いています

 私の父には、兄弟姉妹がたくさんいる。

 父とは一回り以上、年の離れた、1番上の兄は戦争でなくなった。

 私にとって、伯父にあたるのだが、もちろん、会ったことはない。

 戦争のあった時代を私は知らない。

 今の平和な日本にいると、遠い話に聞こえてしまう。

 けれども、世界中で今も起こっている。

  私の伯父は、戦車の操縦士だったらしい。

 焼けるような戦車内の暑さで、身体を壊してしまい、なくなった。

 その頃は、戦況が傾き、負けを予感し始めた時期だったようだ。

 それでも、戦いへ向かうしかなかった。

 こんな話も聞いた。

 航空機に、片道分だけの燃料を入れる。

 相手方の航空機に突っ込み、散っていくためだけに、飛び立つ人達がいた。

 私が小学生の頃に聞いた、忘れられない話だった。

 私は、長期の休みごとに、祖母の家に泊まりにいっていた。

 ある日、机のなかに、伯父の手帳を見つけた。

 内容は、覚えていない。

 ただ、きれいな文字だったのを覚えている。

 そして、詩があった。
 
 音楽のように流れる言葉のリズムが、小学生の私には、とても印象的だった。

 今となっては、伯父が詠んだものかは、わからない。

 けれど、その時から、伯父は、私の心の中に存在し始めた。

 お墓参りにいくと、戦没者記念碑に刻まれた伯父の名を探す。

 そこで、毎回のように私の父が言う言葉がある。

 兄貴が一番の親孝行だった、と。

 遺族年金がおりていたらしい。

 子供を持った今、私にも、それが本当に親孝行なのかどうなのかわかる。

 父だってわかっている。

 父の本心は、そんな所にはなかった。

 兄の早すぎる死を慰め、兄の命に敬意を表したかったのだ。

 自分の人生を楽しむこともなく、親孝行することもなく、逝ってしまった。
 
 けれど、兄が自分の命の代償のように、残してくれたものは、大きかったと、言いたかったのだと思う。

 そこからは、海が見える。

 いつも静かに輝いて、時間が止まったように見える。

 操縦桿を持つ青年の胸の中に、詩を見つけた。

 伯父に会ったことはないけれど、私の胸の中に、その面影が確かにある。