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ギフト〜なな色の羽

私の中から産まれたがった言葉やお話を書いています

 東日本大震災の写真展をエル•パーク仙台で見てきた。

 「福島•石巻•宮古•仙台の女性たちが、東日本大震災を撮る•語る•発信する」という副題がつけられていた。

 震災当時の様子や、その後の生活を写した写真の一枚一枚に、言葉がつけられていた。

 食パン一枚だけが、大きく写った写真があった。

 震災当時、家族四人に配られた食事だそうだ。

 次にいつ食事が取れるのかわからないなか、 旦那さんに、自分はいらないから、食べるように言われたらしい。


 動物たちの悲しい写真もあった。

 家畜やペットは、ものを言えないぶん、その姿を見ると、胸がくるしくなる。

 こんなふうに切り離されなければならないのか。

 飼い主は、守ってやれない、悲しみも抱えなければならない。


 それとは対照的に、震災後に咲く花や、紅葉する山を撮ったものもあり、自然の力強さに励まされたり、やっと自然に目を向けられるようになったと語る作品もあった。

 プロのカメラマンでなく、そこで生活をしていた人々の生の声が聞こえてくる。

 私は、もっと悲惨な写真に打ちのめされるかと思っていた。

 けれど、本当に悲惨なことは、表現できないのだ。

 震災を思い出すと、心身のバランスがとれなくなってしまう人もいる。

 これらの写真が語るよりも、現実はもっと悲惨だったのだろう。


 愛する人を失った人達がたくさんいた。

 愛する人が笑えば、うれしい。

 悲しむと、悲しい。

 そういう風に、愛する人と、自分自身の境は、かなり曖昧なものだ。

 だから、愛する人を失うのは自分自身を失うように感じるかもしれない。

 命を託された人は、たくさん背負って生きている。


 この写真展のアンケートに、被災地のために何をしたいと思うかという項目があった。

 小さな事しかできない。

 だからといって、それさえやらなかったら、どんどん忘れていってしまう。

 できるだけ、続けていけることがいい。

 私には何ができるだろうか。

 今も、テレビで、被災地の様子を伝える番組を見る。

 東北では、割とよく見かける。

 全国ではどうなのだろう。

 忘れられていってないだろうか。


 引っ越してきた私は、仙台で震災を経験していない。

 周りの人達も、震災のことをほとんど語らない。

 私もそのことをあえて聞くのは、はばかれる。

 自発的に語ってくれるのを待とう。

 こういう展示会は、きっと、きっかけになる。

 誰かが動くと、必ず、何かが変わる。