サークル活動のひとつであったため、気軽な雰囲気で習うことができた。
池坊、草月流のどちらのサークルに入るかを迷った。
池坊は伝統的な色合が濃い感じがした。
花器から伸びる花の足元をしめる生け方が特徴的だった。
正面から見ると、足元は一本の直線に見え、バラツキがなく、引き締まった美しさが感じられた。
一方、草月流はとても自由だった。
いつでも、どこでも、だれにでも、どんな花材を使っても、いけられるという、型にとらわれない表現が特色だという説明があった。
その話を聞いたとき、わたしはワクワクした。
自由な表現に、憧れていた。
花材を使って、どんな世界をつくりだしてもいいらしい。
これは、やってみたいと思った。
先生は年配のとても優しい女性だった。
まずは、基本の型を習う。
真、副、控(しん、そえ、ひかえ)というように、作品の空間を構成する枝や花の角度や、長さの比率が決まっている。
やはり、型をふまえていけると、美しく整う。
枝ぶりをよく観察して、美しく見える角度を探していく作業が楽しかった。
水を意識していける、という課題があった。
花器にはられた水は、ひんやりと澄んで静かだ。
そこへ、花をいけるのだが、水をみせるための空間を意識的にとる。
葉や実の一部を浮かせたり、沈めたり、表現の仕方に個性があらわれる。
様々な色合いを持つ草花と、透明な水とがたがいを引き立てあう。
水は、どんなふうにも形を変え、容れ物を満たし、すべての生き物の命の根本を支えている。
いけばなに対する堅苦しい思い込みが、どんどん消えていった。
いろいろな表現をしたいと思った。
草花が風に吹かれている様子をいけてみよう。
長方形の花器の対角線の角を使い、両岸から、手を伸ばしあっているような雰囲気にいけてみよう。
想いを形に表現する難しさを感じながらも、あれこれと試すのが、とても楽しかった。
文化祭で発表する作品には、特に力がはいった。
私は、薔薇をいけることになった。
みんなが次々と終わっていくなかで、私の作品は、なかなか仕上がらなかった。
もっと、いい並びや、角度があるかもしれない。
真っ赤な薔薇に命が吹き込まれたように見えた瞬間、やっと納得して、終えた。
文化祭の最終日、作品を見に行って、愕然とした。
薔薇の花のうちの一輪が、クッタリとして、だめになっていた。
あまりに時間をかけて、いけたからだと思った。
薔薇の花を美しく見せたいと思い、いけたが、わたしの一方的な思いを、花は喜んでいなかった。
仕上がりの美しさばかりに目がいって、花の命に寄り添えていなかった。
草花の命に寄り添っていけるのなら、自然に生きるよりも、長く生きると聞いたことがある。
太陽や水に、土や風に生かされ、あるがままにひらいた、花の命の美しさを見なければ。
命を見つめて、命を活かすような、いけばながしたいと思うようになった。