一つは、生まれる前まで、母と繋がっていたポイント、おへそだ。
生きるためのエネルギーをたくわえる場所。
そこに力をこめ、私は行動する。
そして、もう一つは胸にあるポイント。
心臓のあたりだ。
喜びや、哀しみに敏感に反応する。
この二点に対して、私の思考は、裁判をするように、ジャッジを加える。
その行動はどうしたの?
その感情はどうなの?と。
頭がするジャッジは、そのほとんどが、一方向から眺めた解釈にすぎないのに。
ほんの小さな情報が、張り巡らせた網に引っかかり、複雑なアウトプットが起こりはじめる。
私は、この頭のコンピュータを、一度、シャットダウンすることにする。
目を閉じて、自分の内側へと向かっていく。
命、そのものの動きに集中する。
私の頭のなかに住む、たくさんの人やモノ、そして、価値観や信念などが浮かびあがり、消えていく。
この命の最後には、持っていくことができないものが、頭の中から姿を消した。
残るのは、命の感覚。
わたしは、命そのものなのだから。
草花が、どんなふうに花咲くかを思いわずらうことなく、ありのままを受け入れて、命を全うするのと同じように。
命の潔さ、力強さを、自分のなかに感じてみる。
それぞれの人が語る真実のなかで、自分自身の真実を見失わないように。
自分だけがもつ、命の本来のエネルギーに立ち返ろうと思う。