赤は、情熱、行動力、火など。
青は、冷静、知性、空、水など。
私が学んだTCカラーセラピーでは、インディゴには、〝深い愛〟というイメージワードがある。
はじめて聞いた時は、理解することができなかった。
愛といえば、赤やピンク色という思い込みがあった。
インディゴというと、暗い闇の色。
外側ではなく、内側へ向かっていく色だ。
外面よりも内面へ。
実際に目に見える部分でなく、見えない部分へと向かう。
そのものの本質と向き合うのだ。
本質は、時代、社会、個々の人々、状況によっても、決して変わることがない。
昔と今とで、美人の定義が違うように、時代により価値観などは、まるで変わってしまう。
美や芸術の定義も、善悪さえも、線引きは、し難い。
そういった思い込みや価値判断すべて、闇に投げ入れて、命そのものに立ち返った時、きっと、感じることができる。
そして、自分にも、他の命に対しても同様に感じることができる。
それが深い愛なのかもしれない。
そんなことを考えながら、街を歩いていると、偶然〝藍〟の文字が目に飛び込んできた。
仙台の百貨店《藤崎》で、「藍の文化展~ジャパンブルー 阿波藍600年~江戸•明治期の古布展」が開催されていた。
私は吸い寄せられるように、会場へと向かった。
藍、木綿、絹などの自然素材だからなのか、会場に漂う空気が違う。
藍染は、江戸時代にさかんに行われ、庶民の間にも広まっていった。
蓼藍(たであい)の葉を原料として、染めるのだが、染めの回数が多いほど深い色に染まる。
色の浅い方から、瓶覗(かめのぞき)、浅葱色(あさぎいろ)、縹色(はなだいろ)、納戸色(なんどいろ)、藍色というふうに呼ばれる。
このなかの、瓶覗色というのは、「藍色系統ではもっと薄い色で、染色の際も藍瓶に漬けてすぐ引き上げてしまうことから」そう呼ばれる。※(ウィキペディアより引用)
日本の伝統色名は、物語を想い起こさせるような美しい名が多くある。
展示されていた作品は、藍で染めた木綿の布団生地に、白く柄が抜かれたものや、華やかな絵柄がほどこされたものが、大半をしめていた。
つまり、ひとつひとつの作品が大きくて、迫力があるのだ。
幸運なことに、会場にいらした《本藍染矢野工場》の藍染職人、矢野さんにお話を伺うことができた。
これらの作品は、天然の藍を使い、伝統的な技法で染め上げたもので、色に深みがある。
何度も染めた藍は丈夫で、防虫効果もあるため、これらの作品が江戸、明治期のものであるのに、ほとんど傷みがないという。
そこに描かれた龍や鳳凰、鶴、お城などの絵柄も繊細で、かつ力強い。
黄土などの顔料を使い、色付けされているため、深い藍を背景に、色彩の鮮やかさもより際立つ。
ふと見ると、矢野さんの手も青色に染まっていた。
手の爪はより濃く、藍に染まり、爪とは言えない、別なものを見ているような気持ちになった。
この方の中から、藍色が滲み出してきたかのような錯覚さえ覚えた。
濃い闇色の液体のなかへと沈みこみ、光と空気のあるこの世界へ引き上げられ、はじめて青色に変化し発色する。
この作業を、何度も繰り返す。
深い藍色に染まるには、多くの手間と時間、熟練した技術が必要なのだ。
藍とひたむきに向きあい、やがて、心にまでも、深く染み渡るような藍色に染め上がる。
藍色の深い美しさに、私はうたれていた。
そして、思ったのだ。
おそらく、深い愛も心の深いところから滲む様に溢れて、相手の心に深く染み込む様に届くのかもしれない。