先日の茶道のお稽古の掛け軸は『関』の一文字だった。
どう見ても『関』と読むことができない、個性的な文字だった。
『関』とは、悟りへと続く関門のこと。
そこを越えれば、南北東西活路通ず、自由な境地に入れるという。
そこは、悟りからも解放された場所だと先生はおっしゃっていた。
この『関』という文字を見ても、その門をくぐりぬけるのは至難のわざのようだ。
門の向こう側には、違う世界があるというけれど、地は同じく続き、空までも隔てることはできない。
そして、そこに満ちる空気も同じであるのに、堅牢な門が立ちはだかっている。
鳥や蝶、蟻などは、種の違いなど何なく超え、楽々とこの門を行き来する自由さを持っているのに。
関とは、隔てるものなのだろうか。
私は、掛軸から目を下へと移した。
花入には破れ傘の葉がいけられていた。
カエルが、雨宿りしそうな葉だ。
私の目には、ザアザアと降りしきる雨が浮かび上がった。
拝見が終わり、お稽古が始まった。
今日のお菓子は、お饅頭だった。
真白なつるんとした皮に、虹がうっすらと描かれている。
雨から晴れへの変わり目に、ほんのいっとき、空にあらわれる虹。
七色の虹と言われるが、色と色との境い目を、明確に線引きすることはできない。
赤から橙色へと変わっていく間にも、たくさんの色のグラデーションが見られる。
受け入れ、混ざり合い、滑らかに美しく変化しながら、無限の色のアーチがあらわれるのだ。
それは、虹の光の関。
色と色のつなぎめ。
それは、突然の分断では無かったのではないか。
関はつなぐもの。
迷いと悟りを。
昼と夜を。
生と死を。
私の膝前に、お茶碗がおかれた。
美しい緑のお茶を飲みほす。
その甘さと苦さとが、私の身体にしみこんでいった。