仙台市内では、ようやくまとまった雪が降った。
定禅寺通りのケヤキの枝には、真っ白な雪が積もっていた。
木の輪郭が縁どられて、とても美しい。
風が雪を吹きあげて、フワッと粉雪が舞う。
私は寒さに縮こまった。
今年も、どんと祭の時期がやって来た。
明日14日、仙台市の街中では、さらしに白の鉢巻姿で、大崎八幡宮に向かい練り歩く姿が見られる。
三百年もの歴史のある、全国でも最大級の正月送りの行事だ。
毎年参加する地元企業もたくさんある。
ここのところ、気温がとても低い。
昨年は気温が高い日が多かったので、ギャップにやられそうだ。
夜が深まると、マイナス気温は必至。
お神酒で身体を温め、出発する。
八幡様では、正月飾りや古神札等がうず高く積まれ、お焚き上げが行われる。
そこへ向けて、練り歩く。
私の夫も三年間連続で、裸参りをした。
三年続けると、ご利益があると言われている。
裸でなくても良いんじゃない?凍えてしまうよと、私は夫に言うけれど、そこが醍醐味と、返してくる。
裸に意味はあるの?
意味…。
祭りはそういうものでない。
日常という枠を吹き飛ばし、常識とか効率に意味を持たせない。
ただ、寒さのなかを裸参りする覚悟を決めるのだ。
やってくる震えは、武者震い。
寒さに負けまいと、日常のなかで鈍っていた生命力が湧き上がってくる。
八幡様の階段をのぼり、御神火にたどり着くと、縮こまっていた身体がいっきに緩む。
暗闇のなかで燃え上がる炎に暖められ、新たな生命の光が灯されるのだ。
祭りは神事。
神や自然に対する畏敬畏怖の念は、理屈では説明しようがない。
どんなに社会がシステム化されようと、生身の裸の身体で、この神聖な場に立ち、人間性の蘇り、再生を果たすのだ。
真っ白な衣装と、白雪とが重なる。
暗闇のなかの浄化の炎が、リセットをかけてくる。
人々は、祭りに集い、生きながらに新しく生まれ変わるのだ。