父を傷付けてしまった…
相当なショックだったと思う。
怒って相談室を出ていった父。
このままでは離婚には応じないと悟った婦人相談所の人が
次の作戦をねる…
その作戦とは
こっちが折れたふりをし、円満に元サヤという形をとり
安心したころに逃げるという作戦だった。
そうね、広島に婦人相談所の知り合いがいるから広島に逃げてください。
いや、京都の方が福祉関係で紹介できる職もある。寮もある。
京都にしましょう!!
そんなパッと思い付いた土地に不安を感じながら
母、兄、私の三人は意思を固めた。
そのあと、父を呼び戻し元サヤの話をした。
あのときのホッとした父の顔を今も忘れない…
父は決して母を嫌いで暴力をふるっていたわけではない。
子どもと母が同時に溺れたら父は母を助けると言ったそうです。
物凄く愛していたのだと思います。
今の私にはわかる。
父は悪くない。
どんなことがあっても暴力は許されることではないけど
理由があったことを幼い私は知りませんでした。
兄もまた同じだったと思います。