2024-01-28

 今朝、7時ごろ目覚め窓を開けると、空には「乳雲」みたいな変な形の雲がいっぱい浮かんでいました。前日には一直線の太い地震雲もでていたので、「地震来るかな?」と思っていたら、9時頃に振動が・・。私が埼玉に移って5年目に入るのですが、特に引っ越し先の富士見市は岩盤がしっかりしているので地震に強いという情報を得ていましたが、今朝はかなり揺れました。震源地は東京湾沖。

 やっぱり、能登地震の後だけに海底で新しい亀裂が入って新たな活断層が見つかっているということとつながり、少しそれた所には東西を横切るフォッサマグナがあり、活断層だらけの日本にまた新たな亀裂が入っていて、日本を分断するように日本海から太平洋側への断層が動いているのを感じられます。

 さらに不気味なのは、1日の能登地震もそうだけど、今日も又頭に受話器を乗せたようなきむさんちからみさいるが投げ込まれています。日本は完全に実験地なのでしょう。なんてったって、三大きょうさんこくがまとまってしまったなら、打倒あめりかに対してのいけにえはこのじゃぱーん。島国故、じっけんもばれにくいわけで。それにしても、今年のバイブレーションはすごいわ。

 

 シマエナガちゃん、どこまでも丸く・・。

 

 先週、青春ポップスレッスンが先生の体調不良で急に無くなったので、映画でも見に行こう!と赴きその日から上映の「哀れなるものたち」を見てきました。ちなみにR18指定映画。「何?えっちいの?」と思ったけど、話題らしいので見に行くと・・

 その世界はまさにタントラ・ワールド。男性と女性の感覚の違い、役割の違いが描かれていて、聖書のアダムとイブのストーリーではイブがアダムをそそのかして堕落が始まったという女性悪者説から始まり、キリスト誕生における聖母マリアの処女受胎説と対比される娼婦マグダラのマリアの女性の地位、そしてその後の魔女狩りや男性優位世界における女性の支配で、特にそれは性における管理社会としてヨーロッパで流行った貞操帯とか、アフリカにはびこる女性器切断などにつながる、男性の怯え制度が未だに続いていることを皮肉っているものでした。

 インドの神々の中で、時代の節目に全てのものの破壊を司るシバ神は、愛妻のパールバティが、怒りの時に戦いの女神ドウルガーとなり戦士を先導し、さらに女神カーリーとして真っ黒な体になり、血をすすりながら次々に男性を殺戮していく体となったとき、大地に横たわりカーリーと交わってその怒りを鎮めるというストーリーがあります。インドの三大神の一人ですが、他の創造の神ブラーフマンの妻は芸術と才能の女神サラスバティ、維持の神ヴィシュヌは時に愛の神クリシュナになりながら、妻はラクシュミーという富と幸の女神として、世界と時間の秩序を保ちながら回転して再生させるというストーリーになっています。

 ここで興味深いのは、シバ神の妻のみ変身をしながら戦いという男性的エネルギーの立場で各役割を示している点にあります。

アーリオーンは、メッセージ書の一つである「I LOVE YOU」の中で、女性は一人でも100%の力を持つけれど、男性は一人だと80%で女性の力が加わると120%という未知の領域の力が発揮できると述べていました。つまり、自分が未知の力を得るためには女性次第ということなのです。

 「哀れなるものたち」では、主人公の女性が何の習慣も、刷り込みも、情報も得ずに、本能のまま成長する過程を描いているのですが、それは圧倒的に男性の感覚を凌駕するもので、その破壊力の凄さゆえ男性が女性に自分以外の者から「エクスタシー」を得られぬように貞操帯やら女性器切除なりを施すことが歴史に刻まれたのでしょう。

 でもシバ神はそれを知っていてあえて妻の感性を自由にしたことで、カーリーまでになったときあえて交わり(まさに100万ボルト以上?)の電力を得て、地球の全てを破壊し新しい時代を創るための「エナジーダンス」を踊れたのだと思います。それだけ女性のもつ本能的なエネルギーは思考抜きだけに感覚的にすさまじく強く、ダイレクトに現象として反映されるのでしょう。

 なぜ愛し合って(と思い込んでいる)結婚したのに、不倫だの、離婚だのが多いのは、「なんか違う」と内部で感じることが顕著になり、女性が一人でも仕事を得て生きていきやすい社会になったからだと思います。そうでない社会には、女性が放つ深い悲しみや絶望というマイナスのエネルギーが満ち、男性が進化できずにいつまでも古い慣習にとらわれているのが、今のアフリカの現状かもしれません。

 

 本当に通じるっていうことは、と手も大切なのだよ。

 

 この「哀れなるものたち」は、多くのポジションでアカデミー賞のノミネートをされていますが、片や同時ノミネートの日本の「Perfect Days」はまさに男性のストーリーで、対極にあります。(=男性は理想で生きやすい)

 今放映中のNHK大河「光る君へ」は、平安時代の紫式部のストーリーを描いていますが、誰も知ることのなかった源氏物語の著者とその時代背景、恋愛事情などがノンフィクションとはいえ描かれていますが、女性の持つ真の能力や可能性が描かれていると思います。それぞれの時代、そして今も決して女性の能力が存分に発揮できる時代に来ているとは思えませんが、改めて「女性力」のようなものに気づけたら、もっと自分自身の生き方や考え方を分析し、さまざまな枷を取り除いた時に見えるものがあるとエールを送ってくれるのがこの映画かもしれません。 ⇒ 私の時代はまさにその性解放としてのエリカ・ジョング氏の「飛ぶのが怖い」や故森瑤子氏の「夜毎の舟あるいは戦場」という小説がガイドだったり、親元から離れてスピリチュアルという領域に入り、アメリカからインド、イランへ旅してリアルに見聞したことと、自分自身が体験してきたことが大きいと思います。

 この「哀れなるものたち」への主演女優のエマ・ストーン氏は、欧米の女優にしてはボディが極めて中性的で、バストも小さく容姿もセクシーではなくあまり官能的な要素が感じられないことが幸いして、この映画を必要以上にエロく感じさせないことが評価される最大の要素かもしれません。つまり、おっぱいが大きいとかお尻がふくよかとか、男性が求めるエロスの体とはかけ離れていても、男性が求めてやまない「女性性」を備えているのは体のサイズではなく感性である。ということも描いているのです。

と、ここまでの分析や解析がなせるようになったのも、私が劇中ででてくる高齢のマダムの領域に入っているからでしょう。でもそこまでこないと、タントラやチベットの歓喜仏を始めとする本当のタントリズムの説明が、少なくとも理屈優先の男性には説明できない現象であると断言できるから、なのです。