与えているようで

実は、奪っている。


何のことだろう?


大好きな人に


体調を気遣う言葉をかける

頑張りを労う


ちょっとしたお菓子を差し入れする


抱えているタスクを手伝う


食事をご馳走する

レディーファーストでエスコートする


ブーケやバッグ、アクセサリーを贈る


どれも素敵なアクションだと思う。


誰かに何かを差し出すって

正直、気持ちがいい。


喜んでもらえたら

こちらまで嬉しくなる。


「よかったな」って、心から思える。


でも、ひとつ問い。


もし相手が

思ったようなリアクションをしなかったとしても


あなたの幸せ度合いは

1ミリも揺れないって言える?


たとえば募金。


レジ横の募金箱に1万円を入れた瞬間、

それを目の前でビリビリに破られたとしても

何とも思わない?


極端な例かもしれない。


でも、


それでも心が全く動かない状態こそ

本質的な「与える」なんじゃないかな。


どこ発信のアクションなのか。


そこが、すべて。


心の奥で


よく思われたい

見捨てられたくない

関係を繋ぎ止めておきたい


そんな恐れから動いているなら


それは「愛」じゃなくて

「不足」からの行動。


不足からの与えるは

知らないうちに


“あなたはこれを受け取ったんだから

それと引き換えに、私に**を返してね”


という、目に見えない請求書を

そっと渡している。


それは与えているようで

実は奪っている。


まずは


自分の心の穴を

自分で抱きしめること。


私は、今この瞬間をどう感じている?

私が、本当に求めているものって何?


満ちた人が差し出すものは

軽い。


そして、自由。