野村先生との出会い。今から30年ほど前のことです。ネクタイ販売3日路程で渋谷ビル街を訪問活動していたら、ある事務所に入っていくことが出来ました。おおよそ皆さんは無反応でしたが、ある方が赤いネクタイを手に取って、すぐに買ってくださったのです。私はどういうわけかすぐにわかりました。「しあわせってなんだろう」の野村先生だということを。先生の効果で周りの方々がどれどれと作業を中断してネクタイを選びはじめました。大盛況でその場をあとにしたのです。野村先生、その節はありがとうございます。先生が協力されたあの時の姉妹は、いま「しあわせってなんだろう」の韓国語バージョンと、中国語バージョンが歌えるように、密かにノートに書き出しています。


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【聖歌】「しあわせって何だろう」

希望・愛と美・信仰を表現した歌です


一九六七年五月のことでした。東洋大学の講師だった野村健二先生は、授業の始まる一時間か三十分前に行って準備をするのが常でしたが、その道で、ふっと、この歌の最初の一行が浮かんできたのだそうです。

「しあわせってなんだろう」と。

野村先生はベストセラーになった『窓ぎわのトットちゃん』と同じトモエ学園出身で、創造性費かに育ったかたです。歌を作るときも、言葉とメロディーが同時に浮かんでくるということです。

「私の関心は愛よりも、創造性とか向上のほうに強く向けられるんです。だから、幸せってなんだろう、という問いかけに、初めに浮かんだイメージは三番の『ひばり』なんです。どんなに高く飛んでも、まだ上には空があるじゃないか。それがとても気に入りました。どれだけ行っても先がある、どこまでも向上していける喜びですね。だから

しあわせってなんだろう

三番を最初に作って、あとから、一番(愛)、二番(美)、そして四番(仰)というふうに作っていきました。三番は希望を表していたわけです」

今は教会員であればだれでも知っているこの歌も、作られた当初はあまりピンとくる人がいなかったようです。げらげら笑う人もいたようです。

この歌をたまたま柳光烈先生の夫人、大山君子さんが覚えていて、文先生が「君子さん、何かうたってごらん」と言われたときに、初めてお聞かせしたというわけです。

「それ、とてもいい。とてもいい歌だね」

文先生は非常に気に入られ、何度も聞いて覚えられ、ご自分で口ずさまれるようになりました。

その後、何回か、責任者たちや学生たちが訪韓した際、先生はよく、この歌に合わせて踊るようにと言われました。

「子どもみたいな気持ちになって踊るんだよ」

美しい澄んだ空、清平の湖の色、雪岳山の木々の色…..その中にこだまする歌声。ひばりのまね、羊のまね、狼のまねを、文先生もなさりながら踊り、三六家庭の先生がたも一緒に入り交じってうたい踊る楽しさ。それは今も忘れがたく、日本の教会員の胸に刻まれている思い出です。

また、マジソン大会の前、アメリカに行っておられた野村先生を、文先生は船で一緒にマグロ釣りに連れていってくださいました。そのころ野村先生はうつうつとした心の状態でした。すると、当時十三歳くらいの孝進様が「あなたが「しあわせってなんだろう」を作った人でしょう。私はとてもあの歌が好きです」と、英語で話しかけてくださったのです。野村先生は、その孝進様の慰めを感じ、優しいかただとしみじみ思ったそうです。

なお、リトルエンジェルスにもこの歌が推薦されたので、各地でうたわれ、レコードにもなりました。これからも「しあわせってなんだろう」は愛され、うたい継がれていくことでしょう。

『聖歌のゆかり』(歌に秘められた主の心情路程 p228〜p230)