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柳光烈 ― 「貴方様の日に、私の日に」

1.坪村に生まれた“天才”

1928年旧暦7月25日、私は江原道(カンウォンド)の中でもひときわ辺鄙な農村、春城郡東面坪村里(チュンソングン・ドンミョン・ピョンチョンリ)191番地で生まれた。
父は漢学者であり、先覚的な農夫でもあった柳根榮(ユ・グンヨン)氏、母は南陽洪氏。四人姉妹の中で、私はただ一人の男の子だった。

七歳になると村の寺子屋へ通い始めた。年齢は最年少で、まだ幼子のようだったが、「千字文」を覚えるのに二十日しかかからなかった。貼り付け(復習)の段階になると、もはや先生に教わる必要を感じず、一人で進めていった。

私は一人、「天地玄黄、宇宙洪荒……」と唱えながら必死に暗記した。初日には本の半分、すなわち「鳳八卦」まで覚え、翌日には後半の終わり、「焉哉乎也」まで暗記した。そして三日目には本を閉じたまま、千字文二百五十行を一気に読み通したのである。
そのため、先生であった申泰燮(シン・テソプ)氏は、私を「坪村の天才だ」と言って噂した。

その後、東興の寺子屋でのことだ。立ったまま日本語の本を読んでいた私は、ある漢字でつまずき、五分ほど考え込んでいた。ようやく答えが浮かび、口を開こうとしたその瞬間、私よりはるかに体格の良かったビョン・ホソク君が、見かねて先に答えを言ってしまった。互いに運が悪かった。

私は悔しさのあまり、わんわん泣きながら両拳で坊主頭を何度も叩いた。授業は中断され、教室は修羅場のようになった。
しかし、その寺子屋で二度試験を受け、二度とも一等を取った。

また、品安簡易学校では、「年齢が一歳足りない」という理由で入学を断られた。だが私は諦めなかった。
一ヵ月半もの間、毎日のように校門の外で朝会が終わるのを待ち、泣きながら、時にはいじめられながらも子供たちについて行き、その傍らで勉強を続けた。そして最初の学期には七位になったこともある。しかもクラスの三分の一は前年の落第生だった。私は昔から、少々粘り強い性分だったようだ。


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