「王の王と白龍」

眠る人類に向けた“天の呼びかけ”であり、

神様の前に立ち帰るためのメッセージです。

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証言 
柳光烈「あなた様の日に、私の日に」
7. 陣容を整えて雑誌製作に着手、まもなく取り消される


 1970年1月1日付で、崔允起氏が文化課長代理に任命された。赴任するとすぐ、自然に『成和』製作に協力するようになった。ちょうどその頃から、本格的な雑誌製作に取りかかっていた。


 版型は国版に改訂され、ページ数も100ページを超えるようになった。ファン・インテ氏は、その年最初の巻である94号から、彼が去る際に最後に製作した97号(145ページ)までの4巻において、出版課長としての能力と熱意を存分に発揮したと思われる。


 『成和』4月号からは、水沢里に新しく設立された統一印刷所で印刷を始めた。しかし、『成和』の編集実務陣には再び異動があった。6月10日付でファン・インテ課長が光州地区長に転任し、後任としてイ・ギョンジェ氏が来ることになったが、新任のイ課長は17日に赴任した。


 ここで時間的な空白が生じ、実務の連携過程で仕事の進行に支障が出た。そのため、6月30日付発行予定であった98号は7月初めへとずれ込み、その間、7月6日付で登録が取り消され、納本に対する何の配慮もないまま、9日にその通告書が舞い込んだ。


 仕事の遅延も一因であったが、法規の細則を知らなかったことも、製作責任者としての欠格要因と言える。私たちは当時、「4分の1を欠刊した場合に登録が取り消される」と理解していたが、実際には「前後12か月以内に4分の1の欠刊があれば、いつでも取り消される」という規定だったのである。


 登録が取り消されたその月、すなわち7月24日、統一教会の基盤を築くにあたり多大な功労を立てた劉孝元協会長も、この世を去った。総責任者である筆者が、いかに顔を上げ、何を言い訳できるだろうか。


 しかし、このような結果を振り返ってみると、これまで私個人の名義であった機関紙を、表裏ともに真の機関紙へと切り替えるために、天が転換の機会を与えてくださったのだと思う。

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