私が初段になったころ、他の東大新入生は二級程度にまで上達します。この差が六十年後の今でも続いています。つまり、三目分三段分の差が続きます。私が十九才になると、碁の強い先輩が本郷行ってしまい、部屋は静かになりました。碁は付き合い程度、社交である、負けてやってもよい、定石選択は趣味の問題寄せはこせこせしていて情熱がわかないなどといっていました。打とうといわれたら打つ程度で、関心は他のことにむきました。
社会人になると、なん十年も打たない状態が続き、七十才に近づくと昔の友人から碁会への誘いがかかってきます。まずは東大理科に入ったときの同級生、鎌倉の東大同窓会、淡碁会といいますが、これにも誘われて出ていきました。初めのうちは負けてばかり、これでも笑っていると、上手が負けると恥だからといわれました。ここで火がつきました。
社会人になると、なん十年も打たない状態が続き、七十才に近づくと昔の友人から碁会への誘いがかかってきます。まずは東大理科に入ったときの同級生、鎌倉の東大同窓会、淡碁会といいますが、これにも誘われて出ていきました。初めのうちは負けてばかり、これでも笑っていると、上手が負けると恥だからといわれました。ここで火がつきました。