「昭和と聞いて思い浮かぶのは?」に答えてみる。
昭和と言えば、自分が生まれた年号よ。
昭和40年(1965年)に生まれたの。
で。
昭和で、忘れられないのがもう一つ。
中2(14才)の時に、日に複数回のインスリン注射が必須の糖尿病(「若年型糖尿病」)を発症して緊急入院させられた日。
それは・・・
昭和54年(1979年7月21日)よ~!
「生涯、日に複数回のインスリン注射が必須」と診断されて以来、試行錯誤してきて。
もう、、、血糖コントロールに飽き飽きしてるのよ~!
でも。
1979年はまだ自己インスリン注射が保険適用ではなかった。
(インスリン自己注射が保険適用になったのは1981年。
ついでに言えば、自己血糖測定が保険適用は1986年。
それまでは、尿糖試験紙で血糖の状態を調べてたのだ。
尿糖試験紙が反応して色が変わるのは血糖180以上)
小児病棟に強制入院させられていた時も、ふつうの注射器で食前にインスリンを打たされていたけど。
退院後も、外来でインスリンのバイアルを月に3本ほど処方されてた。
ってことは、引き続き命を助けられたってことだし。
いまは亡き(父本人も戦争に行ったけど、お兄さん二人を戦争で亡くしてる)父に言われた言葉。
〈生きられる命があるなら生きろ〉が心にあるし。
自分から命を絶つとか、病状を悪くするとか、わざとそういうのは出来ないな、と思って今まで頑張ってきた。
23日に逝った、高齢の北海道犬・ゆゆんのように・・・
(2018年に、このブログに載せた写真)
暑くて、こんな格好してるんだけどね。。。
で。
せっかく、1979年に生き延びることが出来たんだから。
北海道犬・ゆゆんのように、最期まで最善を尽くして生き抜かなきゃ!と思って。
それなりに~とか、行きあたりバッタリ~とか言いつつ。
頑張っていこうかな、と思ってる。
まぁ、うん、、、発症時に助かったから、のちにインスリン注射とか食事とか運動とか、色々試行錯誤しなきゃならなくて大変な思いをしてきたんだけども~^^;
生きのびて以来、余生みたいなもんかなあとも思ってる。
それにしても。
余生、長すぎ~!
なんたって、余生までが14年で・・・余生が45年よ。
とりあえず。
ムリせず、も少しだけ頑張ってみようと思う。
深ぁ~いタメ息、出ちゃうけどね。
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