2月11日、建国記念日。


それは、今年で34回目の長兄の命日。


そっか、もうそんなに経ったんだな。

あの日、兄は車で休日出勤をして。

帰りに山の中で事故を起こして亡くなったんだったなぁ。

同乗者も対向車もなく、自損だったのが救い。
 

11日の夜、次兄以外は実家住みだったので。

みんなで「帰ってこないね」って話していて。

遂に、12日の朝になっても帰って来ず。

アタシは会社に行き、いつも通りに帰宅したら玄関前に母の同僚がいて。

「お兄さん、亡くなったのよ」って言われて。

・・・てっきり、長兄ではなく次兄が亡くなったんだと思った・・・

(父と母が警察で兄を確認したようで、耳が聞こえないアタシに兄を部屋に安置できるようにと伝えて欲しいと頼まれたらしい)


で。

11日の夜。

両親がまだ連絡していなかったのに、近くに住んでいた次兄がたまたま訪ねてきて。

長兄が亡くなったと聞いて驚いてた。

 


もし、ダムが工事中で無かったならば。

車でガードレールを突き破って50mほど落ちた兄は。

工事現場の人に発見されることもなくダムに沈んで。

いまもきっと、行方不明だったに違いない。

ああ、いやだな。

母に「オマエが死ねばよかったんだ」って言われたのを思い出しちゃった。

長兄の死は、家族で初めての葬式ってこともあり。

アタシはワタワタ・バタバタしている中でも、血糖コントロールしなければならず。

告別式や葬式の時に出された弁当の量をどうすべきか悩んだんだったっけ。

いまのようにカーボカウントなんてものは無く。

インスリンの打ち方も、定量打ち(しかも効果時間が長いので量を調整して食べるってのも許されていなかった)。

運動している時間なんてなかったし。

残る血糖コントロールの道は、食べる量を減らして血糖の上昇を抑えるって事だけだった。

(たしか、もう、血糖測定器を使っていたと思うけど。

電源が無いと使えないし試験紙に付いた血を水で流す必要があったし大きいしで、外出先では使えなかった)


しょうがないから、マメにトイレに行くようにして。

食前に尿糖試験紙で尿糖を調べたんだったな。

・・・着物を着ていたから、太ももに(インスリン用だけどふつうの注射器で)注射するのもトイレで用を足すのも大変だった・・・

式が終わって家に帰れば、母は半狂乱、父はボーッとしてて。

いつも通りにアタシが家事代行して、なだめて。

すんごい疲れた記憶がある。


*****

そういえば。

アタシが持っている歌手のCD。
あれはグループサウンズやユーミン、RCサクセション、谷村新司さん、八神純子さんとか庄野真代さんが好きだった、長兄の影響なんだよな。

ビートルズやカーペンターズも。

・・・あたしは長兄が好きな歌手の歌を一緒に歌いたかったんだ・・・

耳、聞こえないっていうのに必死だったってことも思い出した。

兄が無くなったのは28才だった。(アタシは22才)

今年、アタシは57才になる、、、ってことは長兄の年の倍の年月を生きていることになるのか~。


アタシャ~、14才で日に複数回のインスリン注射が必須の糖尿を発症した時に。

成人になれないと思っていたのに、56才まで生きてるなんて。

なんだか、複雑~なココロモチになってしまった。

 



気分転換しよう。。。



長兄の好きな花は知らない。

聞いておくべきだったかも。


 

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