(月刊『家庭科教育』19981月号より)

  1997年は暗い年の瀬を迎えようとしている。今日はまだ12月の初めであるが,少しでも明るいニュースが飛び込んでくることを期待している。

  1997年は,個人的には初孫の誕生,ゴルフでシングル昇進などうれしいこともあった。しかし,三十数年近くも毎月調髪してくれていた,家のすぐ近くの理髪店の,いつもにこやかであった奥さんが,新聞で大きく報じられた安達太良山のガス中毒で亡くなったことや,大学時代を共に楽しく過ごした親友の病死などが頭から離れない。

  社会的には,消費税の5%にアップ,特別減税の取りやめなどが響いた消費の冷え込み,そして政治的腐敗と貧困のためなどによる,相次ぐ金融機関の破綻,そしてついには考えられもしなかった大企業,山一証券の自主廃業があるなど,景気回復どころか,日本の先行き不安が大きくなっている。

  そんな中で,スポーツ好き,特にサッカー好きの者にとっての非常に明るいニュースは1998年の6月に開かれるサッカーW杯の初出場権を,足掛け43年掛かって得たことであった。

  4年前に,このW杯の予選の最終戦で,規定の90分を過ぎた時点では日本のW杯出場は間違いないと思われたのにほんのわずかのロスタイムに,あっという間に点を取られ,選手とファンの夢が瞬時に打ち砕かれてしまった。

  その4年前の「ドーハの悲劇」とは逆に,今年の予選ではもう駄目かもう駄目かと思われながらもイラン戦で,延長戦で逆転勝をすることが出来た。スポーツにおいてばかりでなく,仕事においても日常生活においても,瞬時も油断してはならないこと,そして最後まであきらめてはいけないことを教訓として,生きていきたいと思う。

  1998年が読者の皆さんにとって,そして日本国,世界にとっても良い年になりますように,切に祈っている。