(月刊『家庭科教育』20033月号より)

 私が44年前に留学したアイオワ州立大学家政学部での話である。

 新学期が始まってちょうど2か月たった1112日,新聞記者とカメラマンが取材にやってきた。あらゆる分野で男女平等が既にかなり進んでいたアメリカでさえ,家政学部に男性がいるということに興味を持ったのである。

 長時間のインタビューを受けたが,日本とアメリカの保育の違い,日本における栄養問題,戦前と戦後の女性の行動・考え方の変化,日本の家庭科の先生はアメリカの家政学からどんなことを学びたがっているか,はては産児制限の問題まで,私が日本の現状,日本の家政学・家庭科教育について何でも知っているかのような質問の連続で全く参ってしまった。

 このインタビュー記事は2日後の新聞に掲載された。私の記事は1頁全部が使われていた。日本の新聞はまだ薄っぺらな時代だったので,この頁のみを見せられた人たちはその記事の大きさに驚いたであろう。しかしその日曜日の新聞は168頁もあったのである。

 記事のタイトルは,「家政学部でただ一人の男性―日本人」であった。掲載された写真は,4人の女子学生に囲まれて,自分の描いたデザインを見ているもので,その説明には「これは女性の世界」とあった。

この記事が出てしばらくして,留学生が招待されたライオンズクラブのパーティーの席で,男性に囲まれている写真を別の新聞社に撮られ,先の新聞記事を受けて,「男性の中でくつろぐ男の中の男」という記事にされた。

卒業後,毎月,校友会報が無料で送られてきたが,私のあて名はミス・ミヤハラとなっていた。その後,住所変更の際に「性転換」をお願いしたが,住所変更がされても相変わらずミスとなっていた。家政学部の学生にはミスターはいるはずはないと思われていたのであろう。 

(追記,20121110日)

この新聞記事は『信濃毎日新聞』に紹介されたと長野県に住む従兄から手紙をもらった。