(月刊『家庭科教育』198711月号より)

15年前結核性肋膜炎で半年入院したことがある。1週間の原因不明の高熱により入院し,一時は肺がんの疑いも持たれた。命はこれで終わるかもしれないと思われたこともあり,生命保険契約を遅らせたのは不覚だったと悔やまれたものである。

自分の経済状態から考え,生命保険契約は,最少の保険料で最大の保障のある掛け捨てのものを望んでいた。しかし当時の日本ではまだ完全に掛け捨てのものはなかったこと,また死に対する切実感もなく,妻はまだ若く,私に万一のことがあっても特に困ることもないないだろうという思いなどが保険契約を遅らせていたのである。

幸いにして半年後に退院することが出来た。退院後,早速,生命保険を契約した。完全な掛け捨てのものはなかったが,ほぼそれに近いものを契約した。しかし大病後とのことで,契約額全額を保障されるのには5年を要する条件がつけられたのは当然であった。

917日の新聞には「世界一の生保好き」という記事が載っていた。外資系を除く生命保険会社24社の生保契約高が7月末で,一千兆円を超えて以来,約15年で10倍に膨らんだとのことである。

いまや保険は,生命保険に限らず,我々にとってなくてはならない非常に重要なものであり,その保険料は家計上,かなりの比重を占めるようになっている。保険商品の種類は数多くあり,更にユニークな新商品が次々に開発されている。

自分の経済や家族の現状を把握し,その将来を見通して,自分の家族に適切な保険商品を購入出来る能力を身につけることがますます重要になっている。

2012424日追記)

この保険契約する時に応対した,保険会社の人は,保険のことを本質的に理解していないと思った。盛んに、ある保険が有利だと言っていた。しかし,どの保険商品も良く計算されているので,どの保険商品が良いかは保険契約者の経済状態,年齢,健康状態などを考慮した上で選んだ商品がその人にとって一番有利な商品である。

私はまだ若かったし,家のローンもあるし,完全な掛け捨ての商品が私にとっては一番有利な商品であると判断した。しかし,当時の日本では完全な掛け捨ての商品はなかった。やむなく貯蓄部分の少ないものを選んだ。その貯蓄部分はかなり高い利率を予想していた。しかし,その予想は外れ,貯蓄部分の利率はゼロになった。60を過ぎてから5年ごとにもらえるはずであった生存お祝い金はもらえなくなった。