私が留学中の事をブログに書いたら(後に単行本『アメリカ家政学部留学男性第一号の記』として発行),記憶力がすごいですねと何人もの人から言われた。

たとえば次の事を書いた事があるが,こんな細かいことまで覚えているわけがない。東京の家族に宛てた手紙を,父が受け取った日付をつけてすべて取っておいてくれたから書けたのである。記憶力がいいどころか,全く覚えていないことも幾つかあった。

「初めての学期末試験」

試験問題が配られて驚いた。ちょっとした冊子と言っていいほどの分厚いものであった。それもそのはず200の問題があり,いずれも5択の問題であったが,設問の文章も選択肢の文章も長いので1頁に23問しかなかった。答えはマークシート用紙に印をつけるものであった。

 後で計算してみると,120分で200問ということは,136秒で答えなければならないということになる。一番早く解答を終えた人は40分たった時であった(1問当たり12秒)。その時私が解答を終えていたのはわずか30問であった(1問当たり80秒)。時間に終わりそうもなくなったのでピッチを上げどうやら制限時間5分前に終えた(1問当たり34.6秒)。終えたと言っても,選択問題であったので,勘で答えたものもあった。

時間いっぱいまで教室に残っていた学生は私のほかに4人のみであった。1人は東大からの交換研究者の奥さんで,暇つぶしに1科目のみの聴講生であった。英文科出身で英会話はかなりのものであったが,英単語の分からないのが多かったと言っていた

父より一回りも年下の弟は良家に婿入りしていた。その家族が疎開してきたが,すぐ終戦になったので,ほんのわずかしか村にはいなかった。

美人の叔母さんも小学生の娘二人もそれまで見たこともないような素晴らしい洋服を着ていた。伯母さんはまるで別世界の女性に見えた。

一度だけその家に行ったことがあるが,クッキーを焼いてくれた。そんなもの見たことも食べたこともなかったが,非常においしかったのを覚えている。

私の母はいつも野良着姿でよく働いていた。素敵な洋服など着たこともなかった。しかし,後のクラス会で友達が君のお母さんは美人だったなとよく言ってくれるのは嬉しいかぎりである。

別世界の人と言えば,私も疎開したばかりの時は別世界の人と見られていたかもしれない。後のクラス会でよく話に出ることがある。いい歩き方の見本として皆の前で歩かされたことがあったが,友達はあんないい革靴を履いていれば俺にだって歩けたよと言われるのである。

 

昨日,20151218日,一日寒い日になるということだった。しかし,雲一つない快晴だったので,午前中はたくさん着ていた服を1枚,2枚と脱いだほどだった。川越グリーンクロスゴルフ場からは富士山がきれいに大きく見えた。このような日は必ず風が強くなる。

中の1番で3パットしてボギー,2番でダボと悪かったがその後6連続パー。最終ホールはかなりのアゲインストでボギーで40だった。

3番ホールからは絶好調だったので,風のない日なら,エイジシュート(80歳)を狙えるスコアだったが,あまりにも風が強くなったので,エイジシュートはあきらめることにした。

しかし,北の一番難しい3番ホールでパー,4番でバーディを取れたので,気を取り直すことにした。7月にエイジシュートした時はもっと風が強かったので…。ところが5番でのティーショットが風にぶち当たり右に曲がりわずかにOBになってしまった。それでもまだ可能性はあったが,その後崩れ,45になってしまい残念でした。近いうちに6回目のエイジシュートが出来るという確信は出来た。

この日は60歳以上のメンバーのコンペだったが,いつもの倍近い61人の参加だったが,7位となり,有名店のローストチキン丸1匹貰えた。今年のクリスマスのご馳走が貰えて満足だった。

 あまりにも綺麗な富士山だったので携帯で写真を撮ったが富士山が消えていた。

 


 

 過日書いたように私は52年間カローラに乗っている。

 昨日は車検を取りに行った。かつては会社近くのトヨタの営業所で車検を取得していたが,3日預けなければならなかった。

しかしこれで3回目と思うが,2時間半ほどで,車検を収得出来るようになった。いつも利用しているガソリン代の安いガソリンスタンドの経営している修理工場で車検を取得している。代金はトヨタの営業所でするよりも安く,2年後の車検を予約すると,ガソリン代はその間リッター3円安になる。

検査では,必ず直さなければならない所は赤表示,今後注意すべきところは黄表示されて,点検の説明を受ける。今回は,赤表示は1か所だけで,黄色表示は7つほどあった。私はいつものように黄色表示の所も直してもらった。それにはタイヤ交換もあった。

このようにしたためか,ここ少なくとも4年間は全く故障していない。帰りは,新車を運転しているような快適な走りだった。

 

  開会式は、音楽、踊り、パフォーマンスを、途切れることなく、放送されたが、テレビカメラは少しの途切れもなくスムーズに放映されていたのは驚きといっていいほど素晴らしかった。この放送の計画者は良くもこれだけのことを計画したと思う。

 

 昨年の2月から都内にある有料老人介護ホームにお世話になっている。

 私は入居金950万円で、月々約27万円支払っている。個室の狭い方を選んだのでこのホームでは一番安い料金である。

このホームに入居金なしで入居した場合、私と同じ条件の部屋で月々の支払いは約43万円である。

料金は高いが、贅沢な毎日のサービスを考えると妥当かなと思う。サービスは、立派なホテル並みと言える。このブログで紹介しているように、食事だけでも老人に合うような食事を十分考えていることに感心している。

同じような豪華な介護ホームがどんどん出来ているので、競争が激しくなっている。少しでもいいサービスをしようと競っている。

不十分な原稿であるがこれを書いた切っ掛けは写真のような、玄関入り口のように、取り換える必要もないと思う綺麗な床を綺麗に張り直し、壁は別に綺麗にし直さなくて綺麗だと思うのに、直したことである。これは玄関だけでなく全館である。なんで直す必要があったのでしょうね。更に綺麗になったが贅沢し過ぎではと思った。

どんどん出来ている豪華な介護ホームの競争のせいである。

こんな贅沢な介護ホームに住んでいて、そうでないホームに住んでいる人に誠に申し訳なく思っている。

疎開先の長野県の村は千曲川沿いにあった。村全体が高い土手で守られていた。土手のカーブの関係で本流は村側を流れている。

本流の向こう側の中州は砂地で時々誰かが寝ていた。中州は天国のような場所に見えた。いつかは自分もその中州に行きたいと思っていた。中州までの川幅はそれほどではないが,流れは結構速かった。中州はある程度行った所でなくなっていたので,それまでに泳ぎ切らないと大変なことになる。中学生の時泳ぎ渡る決心をした。なるべく上流から泳ぎ始めることにした。必死で泳いだ。流れは速かったが何とか渡りきることが出来た。中州は綺麗な砂がいっぱいだった。嬉しかった。ある程度中州で休んで,また上流の方から必死で泳いで戻ることが出来た。今思えば無謀だったと思う。一歩間違えば死んでいたかもしれない。その時は,どこにも人影はなかったので,溺れてしまっても,誰にも気づかれなかったことは間違いない。