『まず、良いとか悪いとかを判断してレッテルをはらない
そしてその経緯、物語から降りて観客になる
ただただ見て、その状況を容認する』


一昨日の話しです

人生は色んな出来事があるから人生です
たとえ「悟り」というものを開いたとて、現象としてはそれは現れます

「実在するもの」は変えることはできません

それに出会った時に、色んな思考が現れます
それも当たり前なのです
「悟り」を開いたらそんな思考も現れないことはないのです

「思考」そのものになんの問題もありません
当然その思考を消す作業は大事だと思いますが、それが目的ではありません

問題はその「思考」を捕まえるから問題なのです

普段全くそんなことは思わなく、「思考」に囚われていませんか?
目の前で起こることを片っ端から捕まえて、時には感情的になっています
当たり前過ぎて、そんなことにさえ気づきません

もし、ほんの些細な出来事からでも構いません
トラブルが起きた時、今もしその状態であるなら、そのことに対して自動で現れた思考に対して、それを捕まえているという「事実」それが苦しみや混乱を生んでいると言う事実を識ることです

もし自分という存在が無いと仮定して、目の前に誰かとのトラブル的な出来事が現れたと思ってみてください。
自分がないのですから、「誰か」とのトラブルは実在しません

普段は自分など存在しないで飄々と生活しているのわかりますかね?朝目が覚めて支度して車に乗りコンビニでコーヒーを買い、会社に着く、、、自分などないところで行動していますよ
でも突然問題が起きた時だけ「よっしゃーー!」と「自分」が登場するということを実感してみてください

イライラしている自分を眺めます
でも何もしないで放っておくと、、トラブルはトラブルでなくなるのです、、、

出来事にはなんの意味はありません
そこに意味づけしてるのが「私」ということに気づいて下さい。

このような知識は本来はなんの足しにもなりません
実践してして体感してくるとわかります
「知識は役に立たない」とね

「知る」ではなく「識る」
「知恵」ではなく「智慧」

それは、知識や思考を超越した先に顕れるものだと言うことは間違いありません。

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