以前も書きましたが
釈迦の言う「自由」とは
人は基本自由だと思っていますが、現実はそうではない、全てが「縁起」によってシナリオ通りに物事が自動で進む、そこになんの自由もないし自由に良い方に変えれるものでもない
その現実が嫌だとか、なんとかしようと思い、それを変えようとする行為が苦労を生む
真の「自由」とは
その現象化された事実(結果)をどう解釈するか、それが人に与えられた自由だと
「私は幸せだ」と思う、これは「私は幸せだと信じる」ことです
私は幸せだと信じた人はその現象を観る
私は不幸だと信じた人がその現象を観る
「私は結局幸せにはなれない」と信じているということは
「私は幸せにはならない」と言っているようなもので、現実は確実にそのように成ります
これは捉え方です
幸せになれるとは、何か大きな家を建て、お金持ちになり、いたって健康になるといういわゆる現象ではないということを理解するべきです
そう思う(願う、信じる)人はどんな現象も幸せを感じることができる五感を持つと言う意味です
幸せを創り出しているのは人それぞれの意識
幸せの定義など無数にある
人は、何かを成し遂げるのが幸せとか、お金持ちになることが幸せとか、そこに何かが入るけど
綺麗な空を眺めて、、幸せ
美味しいご飯を食べ、、幸せ
家族と笑い合える、、幸せ
思い通りに動く指に、、幸せ
この肯定的な意識が世界を現象化させます
以前「意識の牢獄」の話を書きましたが
例えば幸せについて、目の前にないものを想像したりすると言うことは、それとの繋がりを強くします
人や物、お金、情報や欲望、執着、怒り、悲しみ、憎しみ、恨み、嫉妬といったものだけではなく、喜びや愛でもそれを手放したくないと、それに囚われてしまえば、やはり「牢獄」になります。
信じることが、、、あなたの思いが現実となる
そしてそれらはエネルギーなので、蓄積される、これが強化されれば、それこそ道を歩いていると言う行為そのものの現実に幸福感が湧いてくる
呼吸をしているだけで至福となる
悟る、気づくとは、実在するものに気づくこと
実在するものとは、観る聞く嗅ぐ、味わう、触れる
実在イコール事実です
そこに気付けば
なにかをしなければ幸せになれないではなく
その五感そのものが
至福の喜びとなり、それが研ぎ澄まされ、五感の反応も変わるのです
ここで、書いておきますが
悟りの意識状態とはその五感の感応ですが、想像を超越します
人の過去や内側、過去生までもが瞬時に鮮明に見える
道端に転がっている石ころの意識まで見える
木が何を言いたいのかまで丸見えの状態
さらに地球の裏側で小さな公園の葉っぱが落ちる瞬間まで見ようと思えば見れる意識
当然アカシックレコードにアクセスされるので、宇宙の過去や未来全てが丸見えの五感です
そしてそれらには何の意味もなく、あるのは絶対的な「愛」、それが疑う余地もない実感として意識上に展開する状態なのです
つまり、簡単に「悟りました」などと言えるものではないということです
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