なかなか説明が難しいのですけど、頑張ってみます

観る側と観られる側

どちらが主体でしょうか

これは、私は誰が何と言おうと私なのだと思っている人には頭から納得できない話です

目の前にコップがあります
これはコップとなるには、誰かが認識しなければいけないです
極端に言えばコップをコップだ認識できない人や動物の前では、ただの物体です
コップは私が認識してコップとなる、、つまりコップは私の中の一部、コップは私となります

友人のA君をA君だと私が認識して、初めて「私の中で」A君となります

世界の中に私がいるのではなく、私の中に世界が在る

昔を思い出して下さい。小学生の時私とA君と二人で裏山に探検に行き、怖い目に遭いました、、、
その中の「私」は今の私?ですか?

では、私を私だと誰が認識しているでしょう?
私が私と認識しているのでしょうか?

「空」の話に戻ります
この世界は「空」在るけど無い、つまりはフィクションの世界です

「私」という「空」を私で在ると認識する者がいて初めて「私」となり、「私は、、」「私が、、」「私の、、、」という人生が出来上がります

例えば、これが私だと認識しているのが「魂」だ、と感じたとします。

では、誰が「魂だ」と認識しているのかとなります。
極端ですが、それは「神」だ、と認識しても、それを認識しているのは?

だから、私をこれは私だと認識出来ているから、「私」が成り立つのですが
この錯覚を認識した時点で
「私が、、」「私は、、」という物語は成立しないということ

そして、本来の根源で在る「私」つまり観る側は「思考の中」には存在しないということでは無いでしょうか、、

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