例えば迷うということ
判断ができずに、どうすればいいか決めれないという意味のようですが
こうしようか、いや、この方がいいのかということがあったとします
「こうしよう!」が現れたら、それが現れたということです、それだけです
「いや、やっぱり違う、こうしよう」が現れたら、それが現れたと言うだけです、、、、
それをするべきだと現れたら、そうであると言うだけです
その時に外側を診るから苦しくなるのです
例えば
「あー、やっぱりわたしはダメだー」みたいな思考が突然現れたりすることはないですか?
勿論それまでにそれらしい思考が現れている時もあるのですが
ダメだという思考が突然現れます
それに反応して、その内容という外側を診るから苦しくなるのです
「あー、やっぱりわたしはダメだ」、、という思考が現れた、それだけです、はい、それだけです
それに反応するのは、思考が創り出した「わたし」がダメだと錯覚しているからです
精神世界の学びもそうです「色々学んで、実践して以前よりは少しは楽になったけど、やっぱりまた元に戻ってしまう、、、」
なにか、同じところをぐるぐる回っているような感覚です
それは、思考で創られた「わたし」が、です
思考で創られた「わたし」は観念ですから、楽なわたしも、苦しいわたしもありますから、常に銅像巡りです
「あーやっぱりわたしはダメだ」、、その思考がわたしなして現れただけです
それに巻き込まれるということは、それに思考で創られた「わたし」が入るからです
その「わたし」が錯覚であったと実感した時、苦しみは勝手に消えます
五感を、思考を、事実を確かめてください
「わたし」などなしに活動しています
迷いや悩み、不安というのは必ず現れます
でも、そこに「わたし」が絡むとそれらに、外側との絡みが入り「苦しみ」が加わります
それは、全てが観念や概念だからです
それを創り出しているのが「わたし」という強力な観念なのです
これを釈迦は「無我」という表現で著しました
言葉の重みと釈迦の至言ということで、なにか特別な意識のように捉えてしまいそうですが
誰もが普段「わたし(我)なし「無」」の活動をしていることに気付くだけのことです
応援よろしくお願いします
スピリチュアルランキング