「自分などいない」と言われて
どのような感覚を受けるでしょうか?
それを意識した途端「いや、確かに在る」となりますね
では、この質問を聞く前はどうだったでしょうか?
ずっと「自分がいる、自分がいる」と思っていましたか?
言い方を変えると
普段自分などなしにほとんど過ごしているのです
苦しみや不安、怒りや、なんらかの問題が現れた時に自分「らしき」ものが現れます
言い方を変えれば
普段はただただ現象に流されるままに過ごしているとなります
この時に、ふと立ち止まり確かめてみてください
「今気分がいいかな?」、、と
いいはずなのです
なんなら今感じてみてください、「いい気分?」と
一度、寝る前に思い出してください
「今日はなにがあったかな?」、、、と
よほどの苦しみや不安のない人は、多分大した出来事もなかったはずです
「別になーんにもなかった」一日も、あるかも知れません
何を言いたいのか?
記憶に残らない時間の方が遥かに多いことに気付くでしょう
その、記憶に残らない時間、そこには何もなかったでしょうか?
いや、無数の出来事があったはずです、、、、
その時に大きな悩みとか苦しみ、問題はなかったはずです、そこには「わたし」はなかったはずです
それが「幸せ」の本質なら、どうします?
そこを無頓着に過ごしていませんか?
その時いちど
「いい気分?」と、自分に問いてください
深く深く問いてください
そして「あーいい気分」となったら、それに身を任せてください、そしてそこに「わたし」はいるのか確かめてみてください
「五感」というものは、開けっぱなしですよね?
耳だけ、眼だけ閉じることはできない
その「記憶にも残らない」時は、触れたまま、見たまま、聞いたまま、嗅いだまま、味わったまま、時を過ごしているわけです
当然そこに「思考」が挟まりますが、記憶にも残らない思考です、イライラやムカッ💢もあったかも知れませんが、いつの間にか消えているから記憶には残らない
つまり、あるがままの時を過ごしているのです
当然そこには「わたし」も存在しないはずです
「自分など、いない」を、頭で追いかけでも答えは出ません
その、自分のいない時を人は体験していますよ
自分がいないとか、周りとひとつになってるとか、自分が世界を包み込んでいるとか、、、、これらはその瞬間は気が付かないものなのです、、、
「あ!自分はいない」と思った瞬間自分がいるのですから、、
「いい気分」を味わってみてください
そして言葉に出してみてください
「あーーいい気分〜」
必ず言霊(波動)がそれに反応するでしょう、、、
なんなら
「あーしあわせ、、、」と呟いてください
釈迦は、なにかをする自由は人にはない、人に与えられた自由は、それらの現象を、どう捉えるか、、それが人に与えられた自由だと言いました
ひとりソファーに寝っ転がる、何気ない普段の生活の中や、電車の中でスマホを見てる時、駅から家に歩いている時、、、
「あーーし、あ、わ、せ」と思える人は、どこへ行っても、なにをしてても「しあわせ」なのです
こんなことは癖の領域です、意識をちょっとだけ変えるだけ、、、
『幸せは、日常生活の些細なことにも興味を持つことから生まれる』 ─ジャン・クライン
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