私的には面白い話で「離人症」という名前の病気?とは、意識の異常な状態となるのですが、真理としては明確な個人意識を持っている状態の方が異常なのです(笑)
なんでも病気にするのはいかがなものかと思う今日この頃です。
この「ヴィパッサナ」の仕組みを少し詳しく書きます
まず第三者が診ているかのように、自分の肉体の感覚、感情、思考、想念を静かに眺めますと
この静かに眺める時に意識的にでいいので、外の世界とそれらが、どんなふうに関わっているかも見つめます、、と
まあ、ただ静かに眺める状態を続けるです
これは特殊なことではなく、誰にでも出来るはずです
診ている側を「サトル」観られる側を「さとる」とします
これが浸透してくると、「さとる」の想念や思考、感情、感覚が「サトル」に観察されているだけではなく、「サトル」は外側の影響を受けなくなります。つまり主観的な影響を受けなくなる訳です
「サトル」は「さとる」を客観的に診ています
まあ、そうなりますよね
ここで、わたしも思い起こせば意識として、「さとる」が「どんな現象により」、どのように思考や感情や感覚を造り出しているのかと言う「全体の状況が明確に客観的に観える」ようになりました
つまり、まるで自分の目線で作られた自分が主役の映画を観ているような感覚です
少しはドキドキもハラハラもムカムカもワクワクもゲラゲラもしますが、大きく感情を伴うほどでもありません、もっと言えばムカムカもちょっと楽しみみたいな感覚です。
本当に映画に夢中になっている感覚です
ここまでが医学で言う「離人症」なのですね
この意識状態は、仏教では「ヴィパッサナ」の過程であり、ひとつの大きな気付きなのです。
「ヴィパッサナ」は続きます
想念とか思考とか感覚や肉体は全てがエネルギーです
エネルギーとは、供給がなくなれば消滅しますね
そうですよね?
例えば
「〇〇を達成してやる!」はエネルギーの供給です、それがなくなれば「〇〇を達成してやる」自体消えます
昔流行った「コックリさん」も人が創り出したエネルギー、「狐」や「蛇」の伝説もエネルギーのドテガイ形態です、宇宙全てがエネルギーです
すると、「さとる」と「サトル」どちらにエネルギーが供給されるかと言えば「サトル」の方です
「サトル」は意識の主体であるのに主観ではなく、客観となります
すると「さとる」を司るエネルギーの供給がなくなると言うことです
「さとる」という自我意識の動きが鎮まり、沈黙し、「サトル」の意識である普遍意識が顕現するという仕組みです。
当然普遍意識が顕現した時点で覚醒となりますが、
この顕現までに至るには想像を絶する意識の改革が必要となり最後には「ダルマの観察」となります。
『八桙神社(やほこじんじゃ)阿波国徳島
出雲大社の元社と思われる大国主を祀る神社です
今の天皇が皇太子の時にこんな小さな無名の神社にお参りに来ています。
それだけ大事な神社です。鳥肌モノの空気です。暑かった日、嫁は暑いから行かないと車に残り、「ちょっと待っといて、すぐ帰る」と言ったものの、あまりにも鮮やかな空気で、2時間ほど滞在してしまいました。当然嫁は激おこ!でした」』
初歩的な日常いつでも、今からでも出来る意識の改革が「ヴィパッサナ」
息を吸うことに気づき、息を吐くことに気づき、 歩くその一歩に気づき、また一歩に気づく。 思考が起きたなら思考が起きたと気づき、 感情が湧いたなら、感情が湧いたことに気づく、何かに触れればその感覚に気付く、、、それだけです
具体的な方法はまた後に書きますが、つまりは私達が当たり前のように認識している現実世界とは別に「静寂」「至福」「愛」「慈悲」の世界が存在する
それは現実自体(外側)が変わるのではなく、それを認識する私達の意識状態が変わるということです
わたしが経験した「サトル」の意識の世界は、思い起こせばそのような世界であった?遠い昔のことなのでハッキリとは覚えていませんが、毎日が楽しかったことは疑いようのない事実だったのは間違いありません
(それまでは全てが敵のような毎日でした)からわかります。
「悟った」とは全く思いませんが、ただこの意識状態が発展途中で在るのは確かなことではと確信しております。
応援よろしくお願いします。
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