人や会社の愚痴ばかり思う人がいます。
苦労話が絶えない人がいます。
環境の愚痴ばかり言う人がいます。
自分を悲観ばかりする人がいます。
常に不安なことを思ってしまう人がいます
人の目が全ての人がいます、、
他にもいろんな人がいますが
これらは全てがただの思考です
「怖がり」という言葉があります
この「怖がり」が説明しやすいです
怖いも思考です
夜道に二人で歩いていて、ひとりは別に怖がりではなく、もうひとりが怖がりとします
「ほんまお前怖がりやのー」、、、これは
怖いことが好き、つまりそんな思考が刺激的と感じるのです
そんな人に限ってそう言うのを望みます
怖がりたいのです「がり」ですw
これと同じことです
過去の過ちをクヨクヨすることに刺激を覚えています
人の欠点を見つけることに思考を働かせることが刺激的なのです
未来のことに不安になることが癖です(悪い癖です)
何が言いたいのか?
思考とは楽しくもあるのです。
仕事が辛い辛いと楽しんでいます
しんどいなら違う仕事を探せばいいと思うのですが、事情があり、そんなことはできない、、とまた思考を楽しんでいます。
嫌いな人のことをぐちぐち言うのなら、思い出さなければいいと思うのですが、それがその人にとっては刺激的なのです
以前も書きましたが
意識を変えるひとつの方法です
自分の行動をひとつひとつ確認する行為です
これは細かければ細かいほどいいです
例えば車の運転中、「右手でハンドルを持ちます、、」少しカーブなので「少しハンドルを右に切ります、」横断歩道を渡りそうな人がいます、、「ブレーキを少し踏みます、」左に曲がるので「ウインカーを出します、、見通しが良くなりました、「加速します、」満月です「月が幻想的です」「遠くで救急車の音が聞こえます」信号が赤です「止まります、、、左に曲がります、、前に車がいないので「ヘッドライトをハイにします、、、、」
こう言う単純動作確認方法です
「カルマ・ヨガ」というヨガの行法の一部です
決して難しいことではありません
やってみるとわかりますが、結構忙しいです、そして難しい、、、、単純すぎてです
細かい動作まで入れると大変です
オデコが痒い、「右手の人差し指でデコをかきます、、いち、にぃ、さん、、」くらい細かくです
まずこれに集中している間は過去未来や、ここ意外への「思考」は止まります
「続けられる」とわかりますが、思考より先に身体が動いていると言う実感を覚えます。思考が追いつかない。
何よりも「今ここ」に意識を向けることができます
究極は、なんか楽しくなってきますw
(全て人によります)
簡単そうですが、、難易度がかなり高いです。
単純すぎて知らないうちに思考に戻っています
戻ったなとわかればもう一度、またもう一度と頑張って繰り返していくと1分が2分に、、5分が10分へと慣れていきますが、大抵途中で楽しくないとか、こんなことしても、、、?とかで、やめてしまいます
これがある程度(人によりますが)に行くと、微かにいろんな意識や心境、行動の変化が生まれます
ただ、必ずわかることは
無意識に単純すぎてつまらなく、すぐ思考に舞い戻るのです
「そんな単純な面白くもないことよりも、いろんなこと考えてる方が刺激的やー」「単純すぎてオモロないわー」無意識に考えます
坐禅とかもそうですね、単純すぎて続かない、、
そしてまた嫌いな人のことを思い「イライラ」したり、自分の不甲斐なさを思い「クヨクヨ」したりと、過去や未来やここにいない人のことに思考を働かせます。つまりはこっちの方が楽しいのです。
確認するのです。
今何が見えていますか?
今何が聞こえますか?
今何かが触れていますか?
今何かの香りがしますか?
今身体はどんな行動をしていますか?
ここに真理が隠れているのです
この「今」が実在するものであり、真理に近づくものなのです。
「思考」とは良いも悪いも「刺激的」な「楽しさ」でもあるのです。
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