「瞑想」をやったことがあるでしょうか?
わざわざ瞑想までやらなくても、一度静かに自分の思考を観察してみてください
決して難しいことはありません
観察している時は思考は大概現れません、が、早ければ何分レベルでやってきます
その思考が湧き上がってくる瞬間を目撃すると、思考を自分だとだんだん思えなくなってきます
しまいにはなんか怖くなります
今「風呂に行こう」と思いました
勿論夜ですし時間もそれなりなりという原因もありますが
「風呂に行こう」と思おうとして「風呂に行こう」と思ってはいないのは私は確信できます
そうです
「思考」はあなたではありません
自動で次から次へと現れては消え、消えては現れます
その思考を私だと錯覚させているのが「自我」と呼ばれる分離意識です
思考を私だと思うということは、私は確実に存在するとなります
人生の苦しみのひとつは「今の私では駄目だ」という意識です
これは、地上の常識や道徳ではある意味正解なのですが、それを探求していくと
そもそもその私という意識こそが苦しみや迷いの根源に行き着きます
これは
外の世界から「分離」された「私」が存在していると信じていることが全ての苦しみの原因というのがひとつ
さらに、外の世界の中で、このちっぽけな私が自分の力だけで生きていかなければいけないと思い込んでいる原因があります
私が悩み、私が苦しみ、私が不安になり、、、そもそもその苦しみの主体である私が存在していなければどうでしょう?
説明が難しいですが
これは私が全く存在しないというニュアンスで「私はいない」と言ってるのではなく
時には怒り、時には喜び、時には悲しみ、時には不安になり、時には悪になり、時には善となるあなた
真剣になったり、ふざけたり、いい加減だったり、生真面目だったり、、、、
全部ひとりのあなたです
そのあなたはその時その瞬間で違うあなたを演じてはすぐ変化しています
その変化し続けるあなたがいます
細かく言えばふたつと同じあなたはいませんね
色んなあなたに振り回されていませんか?
そして思考は事を大きくもします
「このままでは大変なことになるぞ」
「何か動かなきゃいけないぞ」
「楽観的はえらいことになるぞ」
まるで意思を持ってるようです
本来のあなたという存在がどのような形であるかはわかりませんが、スピリチュアル的に言えば「ただひとつの生命」ですかね、どんと動かないあなたがそこにいて、そのあなたの中に瞬間瞬間変化するあなたがいるだけというニュアンスです
この視線になれば、本来は全てが平安で静寂の中に在るあなたがいることがわかります
この身体は確かにここにあるし心の中にはいろんな思考や感情が浮かんできます。
でもそのどれもが「私」個人のものだという感じがしなくなってくる。
大きな私の中に思考や感情やこの身体が生まれてきては消えていく、そんな感じなのです
この拙いブログをたまたま読んで
例えば
「ほーーなんとなくわかる気がする」と思うと自動で現れてます
「そんなアホな話あるかいな!」と現れます。
どちらにしろ、正しいとか間違いという概念ではなく、そのように現れた、、、というだけなのですw
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