今あなたが何かで悩んでいるとします
子供のことやお金や仕事のこと、、、
「どうしよう」
「こうした方がいいかな」
「ほっとく方がいいかな、怒った方がいいかなあ」
「後悔するのは嫌だなあ」
「これを言ったら傷つけてしまうかなあ」
いろんな思考が現れます
右なのか左なのか、選択が現れます
その中から自分が最善であると思うことを選んで行動したとします
もしもその色んな選択、可能性が自動でやって来ていたとすればどうでしょう?
あなたの考えではないとすればです
「右にしよう!」
選択肢の中から、右が出て来ました
これが、あなたが一切入らない、入れない、極端に言えば生まれた時から、いやそれ以前から関わる無数の様々な条件が重なり、それしかないそのタイミングで自動で現れたとすればどうでしょう
普通当たり前にそれは
「自分で考え、自分で選び、決めた」と思い込んでいます
違います
それら全てを受け止めているいうことです
私達はそれしかできないのです
よく何かに「委ねる」といいます
神に委ねるとかいいますが
「委ねる」というのはこちらからの思いですが、委ねざるを得ない、、、なのです
そしてそれは間違えようのない道です
色んな悩みを日々経験しています
極端にいえば
「カレーにしようか、ラーメンにしようか?、、、」もですw
何かに悩み、なにかを選んでいるようで、実は何一つあなたは選んでいません。
起きることは起き、起きないことは起きない
つまり、間違えようがないのです
これを読んでどう思いましたか?
「いや、そんなことはない自分で考えて道を開くのだ」
「それなら、なんの自由もないなあ」
「でも、やれることはやってみたい」
「ふん!バカらしい」
そう思うなら、そういう考えが起きただけ、それだけです
概念というのはそもそも存在しません
唯一存在するのは「事実」です
そんなこと言っても「悩み」や「迷い」は起きます
でも実際には迷ってなどいません
そのような現象(事実)が「迷う」という概念を創り出して感覚としてあなたの中に映し出されただけなのです
これらを統合すると出てくることがひとつあります
何をしてもいいのです。
思いつくままにです
当然やってはいけないこともあります。それはお分かりだと思います。人には「良心の呵責」というものがあります
悩むとか迷う、それら不自由な概念を取り除けば「自由」が顔を出すということです。
よくよく考えてみてください
例えば人間関係で悩むとします
それは色んな制約や過去やこれからのことやその人との関係というややこしさが絡んでいます
その中から自分は自由になにかを決めているのと
その「決めている」自体が自動でポコっと現れているのなら
自由に心置きなくやれると思いませんか?
私達は間違おうと思っても間違えようのない道を歩んでいます
『尽きせぬ自由は、がんじがらめの不自由さの中に在る〜♪』
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