子供の頃から「かわいそう、、、」
この言葉が嫌いでした
それはひとつの出来事からでした
小学生の時野球の全国大会、準決勝、決勝とダブルヘッダーです
準決勝で私はデットボールを受け(後で医者でわかるのですが)右の指一本脱臼、一本骨折しました
小学生の野球でも硬球です
でも決勝は添木をして包帯ぐるぐる巻きで出たのですが
準決勝で勝ち、それまでの間に「そうめん」が出ました。うまそうでしたが、箸を使えません
かと言ってスプーンでは食べれません
チームメイトのお姉さん二人に食べさせてもらったのです、ただ何の感情もなく「旨い」と思いながら食べていました
けど、そのお姉さん二人が
「かわいそう、かわいそう」と言うのに、意味もなく涙が止まりません、、、その時の感情は定かではありませんが、、少なくとも私は「哀れ」でも「かわいそう」な感情ではありません
「あなたは救われないといけない、かわいそうな人間だ」と、善を押し付けられたような気持ちになり何故か涙が止まりません
それを見たお姉さん達は「やっぱりかわいそう」となっていました

『三千人に飯を配るより、ほんの一瞬笑顔でいなさい』
釈迦の至言ですが

世界も含めて周りには沢山の問題(と呼ばれる)があります
貧困や差別、戦争や紛争

誰もが「何かできることはないか」と思っているかもしれません

ボランティア、社会運動、助け合い、、、

人を助けると言うことは良いことという概念があまりにも定着しています
こんなことを書けば、あなたは冷酷な人間だとなるかも知れませんね

結論から言えば
これは外側に救うべきかわいそうな人がいるという分離の意識です、二元論です

何回も書きますが
あなたの中に丸ごと世界が存在しています

そのあなたの中に不幸な人やかわいそうな人がいるのはどう言うことでしょう
あなたの中にあるということです

あなたの中に問題があるから、外側に投影されている

「あなたはかわいそうな人なのです私が救ってあげる、、、」
こんなこと言われたらあなたならどうしますか?

これは相手に対する呪いにもなるのです
「救うもの」と「救われるもの」という二元を創り出し、それを強化させます

あなたの中に世界が存在します
あなたが物語を創り出し演じています
かわいそうな物語を創り出し優しさを創りだし、良い人を演じてあなた自身が満足します
これら全ての動機は「私」です

それよりも
一瞬真の笑顔でいる方が、あなたが創り出す世界はそれそのもので平和な世界となると釈迦は言っているのだと思うのです
世界はあなたしか存在しないのですから、、、

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