今年もそろそろ終わりに近づいて来ています。
私も結構いろんなことを書いて来ました。
今日も思うことを書こうと思っていますが
私はなんのために生きてるのだろうとか、人間とはなんだろうとか、地上に幸せと言うものがないのではないかとか、人生とはなんだろうとか、生きていると言うなんか違和感や居心地の悪さを感じるとか
釈迦のように虚無感を感じて
見えない世界を探求するきっかけってありますね
私は昔友人と2人でいる時、向こうから尻尾を振って歩いてくる野良犬を見て、彼が行った言葉から見えない世界への探求が始まったような気がします
「犬って犬らしいよなあ、人間らしいってなんやろな?」
そんな些細な、でも私にとっては衝撃的な疑問の言葉から始まりました
人間とは、つまり私とは何者なのか?
どこからやって来て、どこへ行くのか?
そんなことを考えているうちに、生きていると言うことに対する違和感を感じ始めました
「生きていくのが何故だか煩わしい時がある」
その時よく聞いていた吉田拓郎の詩の一節です
生きることが煩わしくなって来た
でも、不思議にそんな気持ちが強くなった時、心の中に平安が訪れたのです、この感覚は今でもそうです
そして、それにはそれを感じている「私」の正体を識るしかないと思いました
あれから数十年経ち、出て来た答えが
「私」って存在するのか?という確信部分でした
言葉で説明するのは国語最低の私にとってはとても難題なのですが
例えば、今まで生きて来た中で、そんの些細な場面を鮮明におぼえていることってないでしょうか?
思い出せば結構あります
幼稚園の時浩子ちゃんとトキコちゃんに囲まれて交わした会話、野球の練習でキャッチボール中に隣の仲間と交わした会話やその時の思い、、、
それを深く辿れば、それも私、今ここにいるのも同じ私?となり
結論は微妙に違う私であるのです
それは、本質である絶対的な変わらない「私」は存在しないという結論となります。
変わらない「私」など存在しない、常にその時その時の状況や思念により変わっている。
となれば、もしもその私に生きづらさやなんで?という否定的な違和感が生じたとすれば
「私」が生きづらさや生きていることの違和感や疑問を感じている、のではなく
「私」がそれ、その原因となります
だから「俺って何?」とか「しあわせとは?」とかを探求すればするほど、迷路に迷い込んだ状態となるのです
つまり
「私」がいる限り、それは永遠と続くのです
それは、「私」が死ねばとかを意味するのかと言えば、そうではなく、そもそも生まれてもいないのです
「私は確かに生きている」。人は、それを絶対として物事を考えます
それは、私は存在していると感じること自体が、存在しない私が感じているだけなのです
となれば、全ての苦しみや悩みは「私」に在るという結論となります
というか、瞑想中どこからかそのような感じの答えがやってきたのです
これが釈迦の言う「無我」の解釈なのか?
無我の我は私の中の我ではなく、私そのものとなります
「私」という存在が全ての根源です
見えない世界ではなくても、お金持ちになりたいとか、幸せになりたい、健康になりたい、、、全て「私」がです
全ての悩みはこの「私」がいると言う錯覚となります
「俺って何者?」
その「俺」がいないのですから、そりゃ永遠に苦しいし、答えはありません
この宇宙の全てがが人の考えの及ばない次元でパズルのように繋がっています
そのパズルの一ピースとして「私」と錯覚している存在がそこにいるだけですね
例えば昨日私は超難解な仕事を1人でこなしました。終わったのは夜中です
これは普通私一人で成し遂げたと思いがちですが、いやいや、それこそたくさんの人や物、例えば夜腹が減って仕事にならないのでコンビニでおにぎりを買って食べました。コンビニ、このコンビニに携わる人々、おにぎりに携わる人々、私の会社、ビルや工場、何せ無数の関わりがあり私は仕事を成功させたのです
もっと深く言えば、酸素、私を産んだ母、地球、宇宙にまで関わります
これらを釈迦は「縁起」と言いました
問題は、それは知識では理解できないのです
なんとなく分かる気がするというのは在ると思いますが、それは体感するしかないのです
「人は目に見えるものにより、目を覆われている」
とある探求者の格言ですが
その通りなのです
目に見えるとは、なにも外の世界だけではなく、思考もそうです
見る、聞く、触る、嗅ぐ、触れる、そして浮かぶ(思考)です
それらが蓋をしているのですが
私はさっき唐突に「唐揚げが食べたい」と思いました
「唐揚げが食べたい」と思ったのは誰??ですか?
思考を観察してみてください。
多分観察している時は思考は止まっています
でも、すぐやってきて、観察していることすら忘れるほど、思考に振り回されています
多分、私はそれは意思があるように思います
思考とは、イコール「対象」です、誰か、何か、何処か、いつか、、、全てが対象のものです
これ「分離感」という奴です
私となにか、私と誰か、私の過去、未来
つまり、それらの対象が存在しないのではなく、「私」が存在しないと言うことです
この分離感を例えば脳と仮定しましょう
その分離感を発する細胞とをA.本来私など存在しないを発する、つまり分離されていない細胞Bがあるとします
以前も書きましたが、これら全て「エネルギー」です
AはBに出てきてこられたら困るのです
Bが「対象など存在しない、私などいない、だから自由に気楽に楽しもう」と思いました
すかさずAが
「そんな呑気なこと言っていたら駄目、もっと現実を見なきゃ!」と邪魔すると言うことです
よくよく観察すれば観えてきます
そのような感覚を覚えそうになると、いろんな思考で邪魔をしてくるのが
それは脳なのか、心なのか魂なのかは分かりませんが
思考とは自然現象のようなものです
雨が降るとか晴れるとかです、自分の意思に関係なく自動で現れます
それをまず確かめることだと思います。
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