「あるがまま」で大事なことのメモです
自分はいないという真理を識ることは
まず「自分自身を識ること」が大切です
本当の意味で
「自分自身を識る」ことができ、尚且つそこに「留まる」ことができることです
どういうこと?
人は誰でも自分のことは大体わかっています
例えば自分は「臆病な人間だ」と常々感じているとします
その前に何があるかと言えば「臆病者は駄目だ」という意識があります
それ以上進まないことが肝心で、「臆病な人間」という事実を認めてしまえばそれで終わるだけです
笑い話です、、
が、問題は、それではダメだと思考が働き、それを克服しようとするからそこに心の中での戦いが起こるのです
「あるがまま」とは
そのままの解釈です
これは、全てに言えるのです
将来の不安や自分への不満、他人への不満もそうです。すべてを見つめ「あるがまま」に受け止める、、、ただそれが在る、、終わり
私達は「あるがまま」を認め、そこに「あるべき」を足して自分の理想を求めるから苦しくなるのです
大体そんなものは元々治りません、観念という魔物です
「あるがまま」ではなく、自分の理想を追い求めるということは、言い方を変えれば「あるがまま」から逃げているのです
そもそも全てエネルギーなので、そこには実体はありません
それをしているうちはその「あるがまま」にエネルギーを与えていると言うことで、心が安らぐことができません
そんな自分を追い求める限りその「あるがまま」という安心感や充実感、そして開放感を得ることはできません
もし
「弱く、臆病者で、ズル賢い自分なんか認めたくない」と思っているなら
その思考自体が実態のない
自我意思、つまり「私」と認めてしまっているのです
一度その時だけでもいいです、手放してみてください。そこに、ある静けさのようなもの安堵感のようなものが感じるはずです
これは、私を手放すのと同じことです
それは、「あるがまま」と「こう在るべき」を求めるという二項対立がなくなるからです
「あるべき」を無くした瞬間当然「あるがまま」も消え去ります
何故か?そもそも「あるがまま」と思う心の奥底には先に「こうあるべき」があるからです
それにはまず
「自分自身を識る」見つめ続けること、そしてそれより先を求めないことです
意識の変容は知識や理論、思考では100%無理です
自己を認識し、そこに留まる、、、
私なんか無数に駄目なところがありましたw
それを容認する、、、それより先へは進まない
どうにかしようと思わない。
すると自分なりの道が見えてくるものです
心の中全てが自我とします、その一部だけでも取り除けば、本来の意識が「待ってました!」とばかりに顔を出してきます
それを言葉にすれば、直感とか閃きとか思いつきとかでしょうか
その現象こそがあなたにしかない次へのステップとなるのだと思います。
その人にしかない、そうです人は人の数だけの事情を持つからです、その人にしか理解できない道が開けてくるのです
ちなみに
インドで生まれた「空」
中国で生まれたのが「道(タオ)」
どちらも根本は同じです
「これでいいのだ」バカボンのパパの名言です。
押して帰って下さい。w
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