大いなる勘違いを私達はしています

私の、身体
私の、魂
私の、生命
私の、家
私の、家族

「私の」と言えるものは「私」そのものではなく、私の周りにあるものだけど

私の、身体も、私の魂も、すべて「私そのもの」ではないですよね

これは
「春」と同じことです
私(春)は気温が上昇します。
私(春)は動物や虫たちが活発に動き始めます
私(春)は新芽が顔を出します
私(春)はピカピカの一年生が町に現れます
私(春)は緑が輝き出します
私(春)は真っ白な景色から緑や赤、黄色の景色に変わります

まだまだありますね

これと、同じです
これら全てが整い「春」となります
「春」そのものは存在していないと思いませんか?

「私の」身体の「私」はどこですか?

もっと飛躍します
「私の」の基準を私の所有物のみではないとすれば

「私の」国
「私の」世界
「私の」空気、空、雲、地球、宇宙、、、

即ち、存在する全てがあるから、そこに「私」がいる?

と、勘違いしているだけです

「春」はどこにありますか?
「生命」は?
「エネルギー」は?

これらを実態のない観念と呼ぶのであれば、「私」も観念上の存在であるのです

「これが自分だ」と言えるものは何ひとつないのです

周りの世界は日々変わっています
全てが変化していく中で「私は変わらない」と勘違いしています

さらに、全てが変わっていくこの世界の中で「変わらない」自分を探そうとする

そんなことしたら、、苦しいに決まってる

人は忘れるのです
もしも、いい仕事が出来たら自分の手柄だと思うけど、そのパソコンは?その机とイスは?その建物は?会社は?そのペンは?夜食に食べたそのパンは?吸っている空気は?、、、

全てがあるから「私」が在るのです
私の悲しみも在るのです。ただそこに在るのです
実態はないのです、「私」がいないから
そのを避けようとしたり、感情を入れたり、変えようとするから苦しみが生まれます

人生の根本的な苦しみの原因は「私」となるのです

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