「私」を消す方法と聞くと何か重く捉えてしまいそうですが実にシンプルです

何かに集中できれば、そこに「私」はいなくなります

だから人は趣味や好きなことを探します
「私」がいなくなるからです、本人は気づきませんがね

本当に仲のいい友人と他愛のない話をしている時、そこに「私」をこう思わせたいとか、こんなこと言ったら変に思われて嫌われるかも?とかカッコつけたいとかつまり本心を出せる友人がいたとすれば、それはそれは楽しいです。逆に「私」がいないのですから
多分そんなにはいないですね、だから人の悪口とか誰かの噂話、つまり私達とは関係のない話題が盛り上がるのです。

人は何故疲れたり苦しんだり、ストレスを溜めるのか?
ほぼ人間関係です

会社でも街中でも家庭の中でも、、その根本は「私」がいるからです

心から「あー楽しかった」ということがあった時何故楽しかったのかをよくよく思い出してみて下さい。

「私」がそこにいなかったからですよ

釣りが大好きな人が集中してジーと浮を眺めています
それをしている時は「私」がいないから至福なのです

釣りそのもの、パチンコそのもの、読書、映画、音楽そのものが好きではなく(動機はありますが)それをやっている時が幸せだからですね
絵を描くのが好きな人に
「何故、絵を描くのが好きなのですか?」と聞いてみてください
それなりの答えはあると思いますが、明確な答えは返りません

私の長男は、食べることが大好きです。お陰で100キロ近い体重があります😢普段しない笑顔で食べています。
「なんで食べるのがすきやねん?」と聞いたのです
答えは
「旨いから、、、」
なんじゃそりゃ、、です

彼は美味しいものを食べているという時「私」が消えていることが至福なのです
私、ではなく五感そのものとなっているのです。

それは何か好きなものを探さなければいけないではなく、日常の中に山ほどあるということです

それに近づくひとつの方法があります

「心を込める」です

全てに心を込める
これは例えばお米を洗う時にお百姓さんにとか、太陽にとか大地に心を込めるという理論的にではなく
ただただ「心を込める」です

難しくないです
心が込もるとどうなるか?
行動が丁寧になります

例えば歩くという当たり前にやっている行為に「心を込めて」みて下さい
ドアを開ける閉めるに心を込めて見て下さい

思考が思考を呼び込むのです
歩いているという真理が新しい真理を呼び込むのです
「私」が消えるとは「思考」が消えるです。すると新しい気づきが現れてくれます
目の前の景色も思考が消えると見方も変わります

スピリチュアルと言われるものは体感が全てです
もちろんその前に知識が必要となりますが

波動が上がった!
などわかるはずありませんよ
それを思う時点で低いですw

知らないうちに心の変容、意識の変容は生まれるものです

だから、多分覚者は「私が覚者?そんなアホなぁ」かも知れませんね

『識るものは語らず』、、名言ですね

心を込めて押してみてください
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